2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.7.26

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2024.7.26

アトリエにしている部屋に朝から直射日光が強く差し込み暑いのと、ここのところ窓の外で作業が行われていることもあってなかなかアトリエでの作業をしていない。それは、作り始めて少し時間が経った棚も同様である。棚、あとは色を塗るだけというところまできた。自分自身の生活のリズムがないので、環境依存でリズムが崩れ、こんな棚一つを作るのにも時間がかかっている。やはり人間には自分自身から湧き出るリズムというものが必要で、自分のリズムさえあれば未来のことをそれほど杞憂せずにどんどんと前進することができる。しかし何かをきっかけに自分のリズムを失うと一気に何をするのも躊躇したり億劫になってしまうことがある。その経験をしているのは決してぼくだけではないはずだ。家から毎日出ることが習慣化されていると、別にどこに行くのも気兼ねなく行けるが、家から出ない日が続くと誰かに会うだけでも「何を着ていこうか」とか「どの香水をつけようか」「お土産は持っていくべきだろうか」とかいちいち細かく気になってしまう。そんな経験は多くのみんなにあるはずだ。
最初に少し書いたように、ここ3週間ほどうちの通りでは一斉に外壁改修工事をしているのだが、それをいい理由にしているのか、もしくは逆か、みんなバカンスでどこかへ行っていてほどんど隣人に会わない。一部内側からの作業が必要な箇所があり、きっと隣人たちは鍵を業者に渡して作業をしてもらっているのだろうが、ぼくたちは家にいる。今日は、一人の青年が窓枠の色塗りのために勝手に窓から部屋に侵入していて驚いた。なんとなく喋り声が大きいなと思っていて覗きに行ったら、土足で内側で作業をしていた。住人への一言の声掛けもない、これがオランダだなと思う。たとえば、先払いのお店などでは、byeとかThank youとかも言わずに食べ終わったらお店を立ち去る。国民性というか、その土地にある週間である。自分たちの培ってきた他者を思いやる気持ちのような文化を大切にしたいと思った。これも昨日の内容同様に、人に押し付けるのではなく自分がやればいいだけだ。文化とかなんでもない、自分の趣味だ。