2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.7.23

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2024.7.23

日本人は、西洋文化への憧れや羨望を日本の古来からの文化に取り込むことによって文化を成熟させてきたが、ぼくがいま住むオランダではオランダ独自の文化というものがなかなかはっきりと見えずにいる。もちろん、オランダ国民の個人主義、合理主義という側面、また貧弱な土地から何かを作り上げてきたという国民の自負とか自信、母国への執着のような思考的な側面でオランダ人らしさを感じることは多いが、それはオランダという国が、迫害されたり追放された人々を受け入れることによって繁栄してきた国であることが影響していると容易に想像できるとはいえ、文化的側面を考えた時には、例えばアメリカではユダヤ人、イタリアや日本など各国からの農民の移民を受け入れたり、またオーストラリアのメルボルンに代表されるように、ギリシャ人やイタリア人を受け入れ文化の礎を築き、その土地で新たな文化形成を行っている国があるにもかかわらず、オランダにはなかなかそのような文化的交流による文化の成熟という側面が見当たらない。もちろんぼくの無知ということがあるとはいえ、日常生活の中でなかなか文化的成熟を感じるモーメントというものが存在しないのも事実である。
ヨーロッパが陸続きであったことから、長く文化の交わり、もしくは争い、土地の取り合いが活発であったことからもコントラストが希薄になっているということも言えるだろうが、さまざまな移民を受け入れることをしてきた国なのに、文化形成の背景が日常の中でなかなか見えないのも事実である。各国の建築や食べ物、衣服、それにまつわるデザインに代表されるように土地や気候が文化や人の思考や文化形成に与える影響は計り知れないが、オランダという土地において、自分たちで国を作ってきたと言われる個人主義、個人責任的な側面は生活文化に良い影響を与えているのだろうか。ぼくが好む文化というものが「生活様式全般」と「思考の流れ」というものに固執しすぎているようにも思えなくもないが、それでも一時代を築いたようなオランダのホリゾンタルデザインやデザインやアートにおけるエクスペリメンタルは、今では自国民からでさえリスペクトを受けているようにも思えないし、世界的にも一時代の盛り上がりとしてしか認識されなくなっているように思えてならない。個人主義ということをポジティブに捉えようとする命題があるにせよ、個人主義というほどの強力なユニークさを持った街はオランダにはほとんど存在せず、他者との共存を願うような、地域コミュニティの共鳴を望むようなどこか保守的で合理性を求めた世界がここには存在する。個人主義と合理主義の不一致みたいなものに板挟みにされこの国では文化の形成が停滞しているようにしか思えないのである。ぼくにとってはこの国は、どうしてもまだ文化的側面を捉えようとした時にはネガティブさばかりが目立っているように思えてならない。しかし、ぼく個人としての自身の経験や思考や肌感覚の活性化や発酵を考えた時には、ぼくを含めた多くの日本人にとっての憧れの西洋文化を深く理解するためには、良いも悪いも様々なものを考察するということが唯一の方法だとも言えるのだろう。良いも悪いも今だけを生きているとわからないのだ。長く見た時にオランダの文化性に気づくなんてことは当たり前に起きそうである。
そんなことを考えながら今日も夕方写真を撮りに自転車で街を徘徊。Jacques RivetteOut 1』のエピソード2を鑑賞し就寝。Jean-Pierre Léaudは、奇妙な役が似合うな。