2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.7.22

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2024.7.22

昨晩、Jacques Rivette『Out 1』のエピソード1を鑑賞。エピソード2まで見ようと思ったが、199分もあったので途中でやめたのが、すでにエピソード1を見終わった時点で深い時間まで起きていたせいか、徹夜明けのような気分で朝8時半に起床。ここのところ踊りにも行かなくなったので、徹夜明けの気分が苦しくて仕方ない。2020年まではよく踊りに行っては朝に帰ってそのまま仕事なんてこともよくあったし、それでもその朝のフワついた気分を楽しむように過ごしていたが、もう夜な夜な踊りに行くようなことも無くなってしまい、徹夜明けの気分を苦しく感じるほどになっている。まだ30代だというのにどうも情けないとは思うが、ぼくの2024年夏の現状をここに書き記しておくことも大切だろう。数年後、また踊りに行くことや朝帰ることが増え、数年前の気分に笑っているかもしれない。人生は上下だけではなく、ぼくたちが思うように進むわけではない。方向すらもどちらが正しいかはわからない。
徹夜明けのような気分の中、ステラの散歩に行き、コーヒーを淹れ、日記を書き、来ていたメールに返事をし、仕事の連絡を少しだけして、昼食にクスクスのサラダを食べた。午後は、棚の制作。電動のドライバーもトンカチもないので、アナログな方法でやっているが、やはり道具というものはいいものを持っているに限ると思った。特に、技術がない人間の力となってくれるのは正しい道具だと思う。こういうことがあると、「道」の「具(そなえ)」という意味を持つとぼくの大好きな名著榮久庵憲司『道具論』に書かれていたことをいつも自分を戒めるように思い出すのだ。
写真家にとってのカメラだって、家具デザイナーにとってのドライバーだって、作家にとっての万年筆も、それらは道の具であり、常に自分の道を進むために必ず具えるべきものなのだ。