2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.6.29

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2024.6.29

あまりここには書いてなかったが、1ヶ月ほど気が狂ったようにソファを探している。夏から秋にかけて数人の大切な友人が日本から来るということもあり、またEuroが始まるのでソファで快適に見たいというのもあり探していたが、6月頭にはバルセロナ行きの準備があり、中旬はパリに行くことになって、ソファのことが頭の片隅に行ったり、違う地域や人々にあって移動しても自分の思い描くものがブレないかどうかいい確認のタイミングだとか思い、結局先延ばしにしていた。さらにいいソファを買ってもすぐにステラの毛だらけになるなとか、部屋の印象を変えてしまうので警戒したりしているとどうも躊躇して購入に踏み切れない。探すと言ってもこの街にソファを売っているような場所は数店舗しかないので、そこを覗いたり、基本的にはオンラインで探しているが、どうも決定打が見つからない。それは、上に書いた理由も大きくは影響しているが、それ以上に自分の理想的なスタイルというものを見間違えてはいけないとも思うからだ。ぼくのいうスタイルというのは、ビジュアル的スタイルではなくアティチュードの話で、「人間としてどう生きるか」というスタイルの問題だ。なぜそれを買うのか、何がきっかけで買ったのか、ソファであれば「ぼくの人生にソファは必要なのか」という問いに対してぼくは心の底から答えを掬い出せていない。それは元来のソファ嫌いが影響しているとも言える。お金があってソファが必要になって買うという状況に陥りたくはないとも思っている。辛気臭く物事や行為の全てを大袈裟することほど恥ずかしいことはないし、何も考えずに気楽にやったらいいと思っている方ではあるが、何でもビジュアル的に決断しやすく、お金と声が大きい人だけが理想を手に入れるような現代社会にはなってほしくはないし、その決断が本当にぼくにとって自分自身を虚無感で覆い被すような行為になってしまわないのだろうかという疑念は拭いきれない。
夕方、近くの公園でやっていたJazzフェスティバルへ。そして21時からEuroドイツvsデンマークを観戦。