2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.6.28

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2024.6.28

少し天気が崩れると聞いていたが、まだまだ天気が良い。ここ3-4日間のような部屋の窓を全開にするような日和ではないものの、それでも窓際に座っていると太陽の日差しが降り注ぎ暖かな気持ちにさせるような日和である。
聖子ちゃんとの話の中で、ぼくが「頻出」という言葉を知らずに、「頻繁?」と尋ねると、「やっぱり中学から受験勉強せずに大学まで行った人は「頻出問題」とかそういう言葉知らないんだね」とちょっと馬鹿にしたように言われた。時々ぼくの集中力のなさとか、締め切りが迫っている時に力尽きそうになる姿を見て、ぼくが受験もせずに大学まで行ったからだと言ってくるが、これらのストーリーは、彼女の受験勉強がいかに大変だったのかとか受験勉強が培ったものの大きさを物語っているなと思う。
ドッグトレーナーと共に、ステラのトレーニングをしている。その中に、「散歩中とまた別の機会を設けて何もしないことをしに外に出ましょう」というものがあり、今日も18時ごろ何もしないために外に出た。外に出て、ただただ一緒に街を眺めるというものなのだが、犬にとっては何もしないというのも大変だそうで、自然でいろんなことが起きていてもそれに反応しない、それに慣れるというのは現代社会、人間社会で犬として生きるには重要なのだろう。パリでOliviaと話した時に、犬は人間になるわけではないのだから、犬らしく生きさせるというのも犬にとってはいいんじゃないかと言っていたが、こうやってカナル沿いのポールに腰掛け、虫が飛んできたり、鳥がいたり、犬が通ったり一つ一つに反応しているステラを見ていると確かに犬らしいことが彼女にとっては決して悪い事ではないんだよなと思った。人間は細かなものに鈍感になっている。こうやって街を見渡しても何もせずにただただ立っている人なんて見当たらない。人々は通り過ぎるだけの風景を持っているのだ。今、文章を書いていると、窓の外から大音量の飛行機の音が聞こえて、ステラがリビングから何ごどだとお言う表情で急いで走ってきた。ステラは残念ながら、人の言うことをそれほど聞くタイプの犬ではないが、とても犬らしくてかわいいなと思う。人間社会に馴染めずに捨てられた犬を拾う人間がいる、そして犬との生活という理想と現実の差異に苦闘しながら、愛で、理解しようとし、その中で自分自身への問いかけを見つけるような生き方も悪くはない。