2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.6.22

Translate

2024.6.22

パリ最終日。朝から散策。キッチンツールを買いに行く。家に帰りLeaちゃんのお母さんCarmellaとお父さんBruno話す。自分の作品とか、ぼくの短編が載っているNigel Peakeの本を見せる。荷物を夕方にピックアップに来るけれど、その時はもう会えないかもしれないということで別れの挨拶。「次回の宿を予約をお勧めしますよ、いつも混んでるから」と結構真面目な顔で言われる。元同僚のDominikaとRose Bakeryに行き、ランチ。JCとアスカさんに会う。Le Balで石元泰博展を鑑賞。その後、偶然Oliviaに遭遇。マイケルくんのブランドCognomenのショウルームにいく。ジャスミンさんとマイケルくんには結局毎日会った。時間が来てしまい、歩いて5分ほどのところにあったDSMへはいけず。Librairie Yvon LambertでBrunoに別れの挨拶。次はもっとゆっくり来たらいいんじゃない?と言われたが、それにはぼくも同意する。次は聖子ちゃんとステラを連れてくるのも楽しいだろう。ステラがクロワッサンを食べたらどう思うのだろうか。ステラはバターと小麦粉がとても好きなので、いつもバタートーストとか、スコーンとか、パンケーキとかクッキーを食べているとすぐに寄ってくるが、一度本当に美味しいクロワッサンを食べてほしい。犬に食べさせるものではないかもしれない、もちろんそれが犬にとっての喜びではないかもしれない、一匹の家族としてただぼくが美味しいと思うものを同じように食べて何を食べているのかを共有したいという気持ちでいっぱいなのだ。
今日は土曜日でまだまだファッションウィークだし、一人でディナーする場所も見当たらないので、またBouillon Chartierでディナー。到着すると100人もしくは200人以上が大行列を成していたが、通りすがったギャルソンに「1人だから可能であればテーブル案内して欲しいんだけど、空いてますか?」とフランス語で聞いてみると、先に入れた。店の端っこで全体が見渡せるとてもいい席に着くと誰も座っていなかったので、今日は一人でこの大空間を満喫できるかもしれないとメニューを見ていると、その淡い期待は泡のようにすぐにはじけてしまった。今日はメガネをかけ、ヒゲも髪をきれいに整え、ライトブルーのシアサッカー地のシャツのボタンを一番上だけあけた姿勢の良い青年とのテーブルシェアであった。英語で話してもフランス語で返答されるので、質問するには何となくできるが、ぼくのフランス語なんて会話にならないので、「メニュどうぞ」とか「水入りますか?」とか簡単な会話しかできなかった。彼はまずアペリティフにBYRRHを注文し、前菜に何かと、テット・ドゥ・ヴォーを注文した。奇妙なものを注文したなと思っていたので、えらく感心した。ぼくは、スパークリングウォーターと、テリーヌとウフマヨ、それにソーセージを注文した。テリーヌを食べていると、「君は何を注文したの、それは何?学校で3ユーロで食べられるから毎日食べてるけど何か知らないんだ」と言われたので、ぼくも状況把握できてなかったこともあって「フランス人でもテリーヌを知らない人もいるのか」と驚いた。さらに、英語とフランス語を交えて無理やり話している間に片言だった英語が突然に上手くなったので、驚いてしまい「失礼だけどどちら出身?」と聞くと「アメリカ」と彼は言った。それでもアメリカ人でも英語が下手な人がいるのかと思ったほどに彼はぼくには上手に聞こえたフランス語と、カタコトの英語とを頑なに駆使して会話をしていたのである。少しして気付いたが彼は本当はアメリカ人だがフランス人のふりをしていたのだ。こんな奇妙な若者とテーブルをシェアしていたのかと少し恐怖さえ覚えたが、向こうも同様だろう。ぼくが昨日も一人でここに来たことは彼は知らない。大学生でエンジニアリングを勉強していてパリに夏期短期留学中のようだった。きっとまだ23,4歳くらいだろう。小さいコミュニティでしか育ってこなかったのだろうか、質問を繰り返してもなかなか会話が広がらない。そんな状況を打破しようと、「君の声は中学生の時に英語の授業でよく聞かされたCDの声に似ているね」と言ってみたが、期待したほどの笑いは起きず「ラジオDJのようだとよく言われる」と言っていた。少し喜んでいた。彼がいうことが面白いわけでもないし、ぼくの質問やぼくらの何でもない会話を彼も楽しんでいるようには見えなかったが、ぼくには教科書か何かガイドブックで読んだのだろうかという真面目な注文に可愛らしさを覚え、にやけるのを我慢するのにとても苦労した。そしていちいち綺麗に発音する「アペリティーフ」にも「デセール」にも「フロマージュ」にも彼の真面目さが滲み出ていて、彼のCDのようないやラジオDJのようなボイスでのフランス語を聞くたびににやけた。彼はも、ちろん注文したテット・ドゥ・ヴォーをおいしく食べるわけでもなく、「頭はおいしくないね、これは頭なんだね、こんなものを食べる人は理解できない」「ぼくは何でも挑戦が好きなんだ、これがいいって思っていても新しいことがしたくなる」「ブッフ・ブルギニョンが美味しいのは知っているけど、新しい挑戦がしたくなってしまうんだ」とテット・ドゥ・ヴォーの注文を誤魔化すかのように、もしくは自己肯定するかのように突然挑戦について語り始めた。ぼくは、彼の注文には文句をつけた訳でもないのに、突然そんな話を始めた。ただ、ぼくは彼の「挑戦心」にとても賛同したので、ぼくらは冒険についてあれこれと話した。
昨日も今日もだが、一人一人人間にはプライドみたいなものが低い高い関係なく存在して、初対面だとそれを守ろうとする、特に経験が浅いとその傾向にある。そのプライドみたいなものが打ち砕かれた時にその本人の本当の姿が見える。サングリアのカラフェをビールジョッキのように飲んでしまってそれを指摘され急に仲良くなったり、テット・ドゥ・ヴォーが本人にとって何故か恥ずかしい注文だったりすると、そのプライドとも言える盾にしていたバリケードが一気になくなるのだ。そこにその人間本来の姿がある。ぼくはそれがとても好きだ。女の子とのデートでずっと気まずかったのに女の子のお腹がなったら突然親密になった、とかそんなことも同じかもしれない。
ぼくは、ムースオショコラを食べ、青年が「デセール」ではなく「フロマージュ」を食べ終わり席を立とうとしたので、握手を交わした。「Jun, I am leaving. it was pleasure to meet you」と言われ、右手を差し出された時に彼がやはりアメリカ人だったということを強く実感した。青年が席を離れた後、ぼくはカフェを注文し、昨日同様カフェソーサーについていた飴のような袋を開けるとチョコレートがコーティングされたアーモンドが入っていた。昨日相席したメキシコ出身の女性が飲み干したエスプレッソカップの中にアーモンドが2個残った光景を思い浮かべたら、店の端っこの席で一人で顔を覆って大笑いしてしまった。
Bercy23時半のバスを待っていると前に、駅前の公園で日が暮れて暗くなっていく深い青い空の元にFrance GallIl jouait du piano debout」や、DesirelessVoyage Voyage」、Sandra KimJ’aime la vie」、La Boumの主題歌「Reality」などがかかっていて、自分のフランスへの愛を忘れていたような気がして、それが溢れそうになってちょっと涙が出そうになった。今考えれば、荷物を取りに行かずにDSMパリへ立ち寄るべきだった。言い訳をするのであれば、あの時はお土産に買いたかったバターが買えていないことに焦りすぎていたのだ。