2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.6.20

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2024.6.20

宿も決まっていなかったが、昨晩夜行バスに乗り込んでよかった。聖子ちゃんの後押しと、Burnoからの「本は50冊明日届くよ」という連絡がなければ乗っていなかったかもしれない。Nigelにはサプライズにしようと連絡はしなかった。
朝、セーヌ沿いのBercyに到着し、馴染みのパン屋Ble Sucreまで歩く。前とテーブルの置き方が変わったBle Sucreのテラスに座って、前と同じようにパンオショコラとエスプレッソを飲んでいると、Brunoから「Did you come to Paris?」とメッセージが入ったので、目の前の公園の写真を送ると、「I liked this bakery but didn’t go for a long time…」とメッセージが来た。お店の持つ雰囲気やパンの味や形が変わっても、オーナーが変わっても、店の持っている風景は変わらないなと思った。Giacometti Instituteに行き、歩いていると土家さんと遭遇し、Sant Leurant Babylonに本の納品へ行き、Daianaと話す。メトロに乗ってBistro Paul Bertへ。それほど変わらない姿に喜びを感じる。Yvon Lmabertに行くとBrunoとNigelが迎え入れてくれた。サプライズはBeastie Boysかと思ったという冗談を言われ、作業をしてNigelとカフェへ向かって歩いていると、お店は変わっているけれどパリの街は構造が全く変わらないから好きだ、という話をしていた。ぼくが朝、Ble Sucreで思ったことと同じである。そのことに強く共感し、そのカフェが好きというよりその場所が好きという方が強いんだなと思った。偶然にもそこにカフェがあり、そこのコーヒーやケーキが美味しいということである。お店というのは、場所を探す目印となるのだろう。風景があり、それに気付くために、それに気づかせるために公園があり、ベンチがあり、カフェが存在している。人々は外にいると歩き続ける。立ち止まることはなかなかない。カフェや公園やベンチが人を立ち止まらせるし、その場にある素晴らしい風景の存在を気付かせるのである。だから、カフェや公園やベンチが風景を持っているわけでも、ない、風景はぼくらが来る前からそこに存在していて、それに気付かせるためにカフェや公園やベンチが存在するのである。この部屋から素晴らしい風景が見える、そうではなくって素晴らしい風景に気付くための部屋の存在なのだ。大袈裟かもしれないが、そんな風にして人は何かを作っているのだ、世界は美しいという前提のもとに。
自分のオープニングではないのに、テーブルに座りサイン。ジャスミンさんとマイケルくん、ロンドンに移住したばかりの吉田くんが来てくれた。吉田くんとサクッとカフェで一服。
夜は、NigelBrunoPhilippe Weisbeckerと奥様、Eve Lambertと夜の素敵な時間を楽しむ。数人の知り合いに会ったり、紹介を受けたり、昔パリに住んでいた時に時々感じた何者でもない時の居心地の悪さから少しは解き放たれたような気もするが、まだこれは自分の展覧会ではないと自分を戒めた。が少し胸を張ることもできたような気がした。今日あったみんなユーモアがあって、ぼくが今日初めてあったとは思えないほどに自分のホームに帰ってきたような気がした。それは、ぼくが好きな方々と会えたとか、そういうことだけではなく、感覚的に共有できるものがとても多かったのだろうか。夜行バスに乗り込んでよかった。