2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.5.8

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2024.5.8

今日はとても快晴だったので、自宅にある全ての窓を全開にして過ごしていた。ぼくの自宅は、南東に窓がある部屋が二つと北西を向いて中庭を眺める大きな窓があるリビングルームそんな構造の家である。賃貸を自宅と呼ぶのだろうか、と今ふと思った。いつも南東の部屋の一つをアトリエとして仕事している。この部屋には大きな白い枠の窓が2つあり、天気が良い日は大体窓を全開にしている。今日は、リビングルームの窓も開けっぱなしにし、風の通り道を作っていた。美しいのだが西日が中庭の木々の影を映すほどしか日差しが入らないリビングルームなので、時々、こうやって暖かく温度を纏った空気を通過させるようにしている。アトリエで仕事をしていると、誰もいないはずのリビングルームからズドンと鈍い嫌な音が聞こえてきた。足元を見るとステラはぼくの作業しているテーブルの下で寝ている。聖子ちゃんは出かけているので、リビングには何もないはずで、耳を澄ましてもやっぱり誰かが家にいるような気配はしない。最近、心が縮こまっているのか、何もかもが怖いと感じる。ぼくの中でとても大切にしてきた度胸みたいなものがどんどんと失われているように感じている。恐る恐るリビングルームに行くと、やはり誰もいなかった。ただそこには中庭が広がる大きい窓と、白い壁があるだけだった。壁にかけていたブドウの写真の入ったフレームは以前のようにそこにはなかった。フレームの下には巨大な箱が2つあり、そのフレームを確認してみたが、まったく傷もなく無事だった。その2つの箱は2度も誤配され、ぼくは1週間も気が狂いそうだったあのamazonのベッドである。配送業者もオンラインショッピングサイトも親切なサポートをしてくれなかった。ぼくははインターネットショッピングは嫌いだと言い続けていた。しかし、もし愚かなオンラインショッピングサイトが正しい商品を送っていたなら、ぼくの大切なフレームは床に落ちてバラバラになっていたのだろう。時に不要と思われることにもその出来事に意味があるということ。今日の教訓。