2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.5.25

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2024.5.25

今日は、聖子ちゃんが仕事で家にいないのでステラと家で過ごす。どちらかというとぼくが家を出ていることが多く、あまり家で一人になることに慣れていない。いつも家に一人になるとだとどうしようもないほど無性に掃除がしたくなる。全てをキレイにして、そのフレッシュな空気の中でリラックスしたいのだろう。それは、ぼくの母に対する記憶と関連しているかもしれない。母も仕事が休みの時は思いっきり掃除をしてリビングで映画を観ていた。ぼくは、その時の感覚が今でも忘れられない。
普段と違う雰囲気に心が騒ぎ、あまり何かに集中することもできない。聖子ちゃんも基本的に家で仕事をしているので、ここ5年くらいは家で一人過ごすということがなくなっている。家の掃除をして荷物の整理をして、マルクトプラーツで家具を探す。ずっと修理しないといけないと思っていた木の箱を修理した。廊下と呼ぶことができないほど小さい廊下に椅子を置き座り、スピーカーでBBC SportsFAカップ決勝を聴き、抹茶を飲んだ。夕方は、晴れたので、夕日の中1時間半くらいステラと散歩。夕方は太陽の光と影が具体的に現れるので探すように歩いているとどこまでも遠くへ行ける気がした。Eric Rohmerのサウンドトラック、プレイリストというものをspotifyで聴きながら、ビールを飲んだりただただ水の動きを眺めている人々が腰をかけるカナル沿いを歩いていると、もしかしていつかまたフランスに住むのも楽しいんだろうなと思った。2年後にはまたオランダのビザを延長して、そうすると5年のビザが降りるので、その間にヨーロッパの違う国のビザを申請することだってできる。イタリアだって、フランスだって、ベルギーだって、仕事がうまくいってまとまったお金があればビザの申請ができるはずだ。オランダに来てから、なぜぼくは自分が昔から影響を受けたり憧れていたものに対して素直に生きようとしないのかと感じるようになった。これまでパリと東京に住んだ以外は、大きな都市に住まないでどんな風に生きていけるのかという実践のように思っていたし、今オランダにいるのも自分の生活の実践なのだ。しかし、それに何の意味があるのかと思ってきた。ぼくにとって自分自身とぼくの周りの人間の世界を広げることはとても重要で、なぜ常に文化的先進国はフランスとかイタリアとかイギリス、アメリカなのかと疑問を持っていた。例えば、ぼくがデン・ハーグに住んでいると、オランダに来てくれる友人がいる、オランダを考える友人がいる。オランダの文化が特別好きで住んでいるわけではないと思う。文化に焦げるような恋をしてそこに住むというのはどのくらい楽しいことなのだろうか、いつまでもぼくはそんな風に生きることができない気がしている。しかし、小国ではないにしろ、オランダに住むということそれがぼくは平和だと思うし違いを受け入れることだと思っている。誰かが作った生活がある場所に住みたいと思ってこなかった。常にぼくは自分の趣味や嗜好いうものを疑っているし、そんなものは人間の冒険欲を失わせるものでしかないと思っている。自分の心の底にある、ルーツに触れ続けるような人生という冒険をしていたい。誰かの作った生活に憧れ続けていると、人生の全ては確認作業であり、自分の本当の力とか自分が何を本当に発見できるかというものに出会えないのである。世界を本当に広げるためには、本当に自分のこれまでの生活の中で関係を持たないような場所でどんな風に生活できるかということも人間の力の証明として必要なのである。ぼくは自分が何も得なかったと思いながら死ぬのは嫌だが、同時に自分のためだけに生きようと思っていない、隣にいる人のために、近くの人のために生きていると思っていたが、こうやって多くの人たちと関係を持たないような生活をしていると、自分は自分のためにだけ生きようと思ってくる。それがオランダの問題だ。自分のために生きようと思うと、素直になるのだろうか、いや、書いていてもぼくの選択はどれだけ考えてもこれだったんだと思う。
少しお腹が痛いのと耳鳴りがする。ここのところ急に寒くなったからなのだろうか。夏には友人が来るので、それまでにもう少し落ち着いた生活ができるようになっていればいいなと思った。別にそれは家具が揃うことでも、お金に余裕が生まれることでもなく、心の充足とこの街を楽しむ余裕の話である。