2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.5.17

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2024.5.17

和辻哲郎や夏目漱石、西田幾多郎の著作権が切れたいくつかの文章を青空文庫で読む。結局色々ザッピングしていると5時間くらい読んでいた。これらの作家はぼくの叔父がよく口にする作家で、ぼくの家にも本がたくさんあるが、大学生の頃に勢いに任せて読んだものがほとんどで、読み直すと自分のルーツに触れられるような気になる。『ある思想家の手紙』『生きること作ること』『樹の根』『自己の肯定と否定と』『すべての芽を培え』『創作の心理について』『駐車場で感じたこと』『寺田寅彦』『面とペルソナ』『夢』などを読んだ。通常、みんながそうかはわからないがぼくの場合紙の本を読んでいると心がスッキリするが、パソコンで文章を読んでいるとその感覚は味わえない。それは深く没頭する感覚がないからなのか、明日はプリントアウトして読もうと思う。読もうと思っていて手をつけていなかった寺田寅彦も、それから夏目漱石や西田幾多郎らのタイトルもたくさんある。
 「思索によってのみ自分を捕えようとする時には、自分は霧のようにつかみ所がない。しかし私は愛と創造と格闘と痛苦との内に――行為の内に自己を捕え得る。そして時には、思わず顔をそむけようとするほどひどく参らされる。私はそれを自己と認めたくない衝動にさえ駆られる。しかし私は絶望する心を鞭うって自己を正視する。悲しみのなかから勇ましい心持ちが湧いて出るまで。私の愛は恋人が醜いゆえにますます募るのである。」 「私はこの点に自己を警戒すべき重大事を認めた。いかに苦しんでも苦しみ足りるという事のないこの人生を、私はともすれば調子づいて軽々しく通って行く、そしてその凝視の不足は直ちに表現の力弱さとして私に報いて来るのである。私はもっとしっかりと大地を踏みしめて、あくまで浮かされることを恐れなくてはいけない。生活態度の質実はやがて製作態度をも質実にするだろう。製作態度の質実はやがて表現の簡素と充実とをもたらすだろう。 私は芸術的良心が生活態度の誠実でない人の心に栄えるとは思わない。」 『生きること作ること』より
自分の不安を解消するために自分の1日の過ごし方を時間軸にして紙に書き出した。紙に書き出すのはパソコンに書く以上に他人に見られる可能性があり、恥を晒すという意味も含んでいるからだ。すると、圧倒的にパソコンに向かっていることが多いことにも気付く。もちろんわかっていたことで恥ずかしくなるほどであるが、それでも自分の不安は未来のことを考えすぎることにあり、そして今したいことをできないことや前進していないことにあるのだから日常の中で自分が時間の使い方をどう変化させられるのかを考える以外に不安を解消する方法はない。