2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.4.7

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2024.4.7

2024年4月8日、午前7時12分に起きて、服を着て、トイレに行き、昨晩のうちに洗っていたZERO WATERの容器に新しいフィルターを付け、ディッシュウォッシャーの中のお皿やコップを元の場所に戻し、洗濯物を畳み、部屋の整理をして、フレッシュミントティを淹れて、今8時15分である。今から日記を書き出す。なぜ日記を書くまでに1時間をも費やしてしまったのだろうか、部屋の整理といっても、まだ掃除はしていない。7時過ぎに起きて、すぐに日記を書き始め、朝食を食べ、9時から仕事をする。そんな時間を自分の規則のように動いているが、結局人生にはちょっとした些細なことが積み重なって7時に日記を書き始めたくても8時15分になっているということもある。睡眠の質が悪かったことか、新しいフィルターに付け替えたことや、フレッシュミントティーの葉っぱを剪定していたことも理由だろうか、昨日買った布団を干していて、それをしまうのに手こずったのか、洗濯物を干して寝たことか、ここ最近のランニングからくるお尻の痛さが原因か、プレミアリーグの結果を確認していたことか、とにかく1時間くらいを費やした。
デビッド・ベッカムは、どれだけ疲れていても夜遅くてもお皿を洗い、拭いて元の位置に片付け、部屋の片付けをし、明日着る服を準備して寝るのだそうだ、1日をきちんと切って翌日を迎えるという。ベッカムは自分の行動によって時間も行動も広げているのだろうか。時々、夜遅くに眠い時にぼくの頭の中にベッカムが「まだお皿洗ってないんじゃないか?」とか「テーブルの上片付けて寝た方がいいよ」と囁いてくるのである。ベッカムではなくジダンに憧れたサッカー少年だったにも関わらず、だ。
今日がどれだけ4月8日だとしても、4月7日のことを書こう。スーツケースが必要だったので、久しぶりに聖子ちゃんのスーツケースを開いた。PAPIER LABOの江藤さんから選別にと頂いた2024年カレンダーをしまいっぱなしにしていることに気付き、壁に貼ることにした。そのディスクリプションには、「大きさは1年のボリューム感を眺めながら1日をつかむのにちょうどいいくらい。」と書かれていてハッとした。カレンダーに動かされる時間ではなく、自分の行動で時間も空間も広げると掲げているが、このカレンダーを見て、自分が今いる場所を見失っているような気がした。それは、カレンダーがぼくの時間や空間を邪魔したとも言えるかもしれないが、一方でそうあるべきだったとも言える。今、締め切りをとっくに過ぎたインタビューの返事を待っているのだが、カレンダーがあるから今週末が存在していた。インタビューの返事待ちという側面では、この週末は本当に不要だった。金曜日にできないことは、月曜日になる。3日も時間が過ぎてしまうのだ、それを不思議だと思わないだろうか。カレンダーがなければ、金曜日できなかったことは太陽が昇った次の日である土曜日にできると思う。もしくは、太陽が昇り一度沈んで、再び昇った日曜日にだってこのカレンダーでいうと今ぼくたちは2段目の左端の方にいる。このカレンダー、人気だそうだが、カレンダーと時計が嫌いなぼくにもその意味がわかる。それ以上に、全体感を捉えるためのカレンダーを作るということが、空間の把握をサポートしていて、世の中におけるデザインの価値を感じる。それに、折り目の持つ役割なども含め、紙でできることを適度に集約したと書かれていて、江藤さんという人間の性格や彼の生活の価値基準が見えて、江藤さんに再会したような気分になり嬉しくなった。しかし、ぼくの場合こうやってカレンダーを意識し始めると、またカレンダーに呪われたように自分の行動で時間も空間も広げたいさらに強く反発するように思うのだろう。時間の進み方はみんなに平等だということはない。今のぼくの時間の進み方はとても早い。毎日、すぐに終わってしまう。24時間なんてうんざりだし、3食の食事にも、毎晩のお風呂にだって、寝ることにだってうんざりする。2月が来たと思っていたらもう4月だ。自分の誕生日があって、その後に聖子ちゃんの誕生日が来る。桜が咲いたと思っていたら、もうすぐに海に浮かんでいるのだろう。大きな全体の時間を捉えられていないから早いのだ。もっと自分の行動で今ここにある空間の大きさを把握してさらに拡大したい。
本を読んでいたら別に寝たくないということもたくさんあるし、仕事が終わらなければ夜中までやっているし、夜中にラジオを聴いていたって誰に文句を言われる筋合いもない。朝は、太陽のせいで焦りながら起きてパソコンに向かって文字を書き始めるのだが。ぼくは、誰にも文句を言われない、それなのにぼく自身の身体がぼくを誘うように、3食の食事もお風呂も寝る時間も平等にやってくる。夕飯が終われば、すぐにお風呂に入りたくなるし、23時が来れば布団の存在を思い出さずにはいられないのである。そして桜が散れば海に向かいたくなるのである。
カレンダーや時計がどれだけ嫌いでも自分で自分の時間を決めるためにカレンダーや時計に使われる数字を参考にし、毎日こうやって日付けのついた日記を書いて、7時に起きて9時に仕事を始めると言っているのである。嫌いなのか大好きなのか、ただ何か文句でも言いたいだけなのか、みんなが信じているものを否定したいだけなのか、とにかく自分の行動によって時間とか空間を自由に拡大させることができるのだ。それが生きるということではないか。