2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.4.13

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2024.4.13

天気がいいので、ランチを済ませ、Scheveningse Bosjesへステラを連れていく。公園の中を歩き、デン・ハーグのまた違う側面を見た後、Scheveningse Bosjesの入り口にあるカフェのテラスで一服していると、アヤさんから「夕方、ビーチへ行きませんか?」と連絡があった。ここのカフェは、元々カプチーノが2.5ユーロだったので犬を散歩する人たちのオアシスとして名を馳せていたのだが、値上がりして3ユーロになっていた。それでも街のコーヒーに比べると安いが、これが2.5ユーロのカプチーノと言われれば、やはりまだ2.5ユーロのカプチーノなのである。もう少しコーヒーが美味しければ、このカフェで一日中時間を過ごせそうな場所である。まあ、あくまでコーヒーが美味しくて安ければ、ということなのだが。自転車でビーチへ行き、あやさんと合流し、4月中旬の土曜日18時と呼ぶのにまだ慣れないような空気の温度と光のなかを強風を浴びながら歩く。砂に腰を下ろし、いくつかのくだらない話と近況のアップデート。夕日を背中に浴びながら帰宅。帰り道、潮風を浴びるとだいたいチップスでも食べて帰ろうという話になるのだが、この街、特にぼくらがいるエリアは19時半にはもうどこも閉まっている。仕方ないので、スーパーマーケットでポテトチップスと、ハムと安いバゲットを買う。家に帰り、半分にスライスしたバゲットをトーストし、片面にマスタード、もう片面にバターを塗った。トマトとレタスとハムのサンドウィッチとポテトチップスを食べた。時々、大衆スーパーでパンを買って食べたくなる、それはぼくがニュージーランドでFlotsam and Jetsamというアンティークショップで週末だけ働いていた時に100kgを超えるような巨漢のオーナーのキャメロンが作ってくれたサンドウィッチを懐かしく思うからなのだ。
Flotsam and Jetsamで働いていると、昼過ぎになると、食材リストが渡され、近くのスーパーマーケットに買い物に行った。袋に入ったキャベツ、ポーチされたチキン、パン、ハーブ、そのほかにその都度必要なものがリストに追加された。初めて買いに行った時、ぼくは躊躇していた、なんせオーガニックや優良食材店がこれだけ普及している街でなぜスーパーマーケットで買い物をしないといけないのかわからなかったからだ。しかし、それを一つの生活の風景として描かれていることを捉えるのには時間はかからなかった。キャメロンは、元々自分のレストランを持ったシェフであった。その名残でアンティークショップのレジの裏にエスプレッソマシンのあるキッチンを持っていたので、食材を買って帰ると、ぼくがレジに立ち、彼がそのキッチンに行ってサンドウィッチを作ってくれた。パンは片面にバター、もう片面にマスタードを塗られ、キャベツもポーチされたチキンも、冷蔵庫からマヨソースのようなものやオリーブオイルや塩、ペッパーなどその時々によって味を変えながら袋の中で和えた。サンドウィッチの基本は、全てにきちんと味をつけること、バターが塗られるのは下にくる片面のみで、それは水分がパンに染み込まないように、とか面倒なことを言う人間ではなく、言わなかった。食事に対する熱量なども語ることもなかった。控えめで何か突出したものに頼るわけではなく形状や味、それを食べる場所や時間など、全体的感をうまく掴んだバランスの良いサンドウィッチだった。それは、まさに今のリバプールの中盤のように世界一のエースはいないが個々のキャラクターが個々のキャラクターとして適材適所で生かされるだけで特徴と深みさえある空間を作り出すようなものだ。アンティークショップの奥で食べるその控えめながら造形美に優れたサンドウィッチに、キャメロンという人間のこれまでの人生や生き方が垣間見えた。ぼくは、ニュージーランドに行く前にはパリに住んでいてRose Bakeryで働いていた。そのおかげでサンドウィッチを作るのには、片面にバター、もう片面にマスタードを塗る光景をあたりまえのように見てきていた。それがイギリス人の作るサンドウィッチの基本なのかどうかは誰からも聞いたこともないが、少なくともキャメロンはどんな食材も基本さえ忠実であれば美味しくなるのだとその大柄な体型で飄々とそれを体現していた。キャメロンが作るサンドウィッチがぼくの週末の味となっていたことは間違いない。ぼくのサンドウィッチ史の中ではこれからも記憶に残り続けるのだろう、そして時々こうやって大衆スーパーマーケットで食材を買って憧れるようにサンドウィッチを作りたくなるのだろう。