2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.4.2

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2024.4.2

オードリーさんに日本からのお土産として頂いた上等なお茶漬けの素を数日前に使ってみたのだが、しんみりと身体に染みる慈美深い味わいだった。人はこうやって故郷の味を思い出すのだろうか。お茶漬けの素のパッケージの端のどこを切っても力なくともスッと切れる仕様(マジックカットと書かれていた気がする)は、それを開いた時に出汁の香りだけではなく、ある種の日本人らしさと地味な興奮とがぼくの生活に流れ込んできたような気がした。お茶漬けなら、ぼくはしゃけ茶漬けが好きだ。大学生の頃、昼に起きるような生活をしていたので、起きると家族のみんな既に仕事に出ていた。一切れの焼かれた焼きシャケがキッチンに置かれていた。それをそのまま食べるときもあれば、煎茶を淹れて、お茶漬けにしていたりもしていた。小学生の頃も、中学受験勉強の合間によく一人でしゃけ茶漬けを食べていた気がする。しゃけ茶漬けはぼくの人生の中で定期的に登場する食べ物だった。
ぼくにとってオランダは6カ国目の移住先だが、これまであまり故郷としての日本の味を強く懐かしむことはなかった。日本から醤油や出汁、味噌などいわゆる和食の必需品を持ち込むようなこともなければ、日本食スーパーに足繁く通うなんていう経験もない。単純にぼくの育った生活環境は、実家がカフェなこともあり店ではオリーブオイルと塩を基本とした洋食を食べ、家では完全に和食というスタイルだったのだが、その多様な食事経験があまり和食の味を故郷の味としないでいるのだろうか。海外に住んでいて米と魚を食べていたらそれなりの気分だったことだってある。
よく考えてみると、東京で自分で料理をしたりどこかで定食のようなものを食べている時の方が母の味に近づけないことで、故郷の味を懐かしんでいたように思う。それは、例えばうどんやそば、味噌汁のひとつをとっても、同じ食べ物だが違う味がすることとか、聖子ちゃんの作るものと母の作るものが違うことや、自分が母のような料理を作れないことなど、和食は作れるのだけれどちょっと違った。時々母だけではなく家の応接間で懐石料理を出してた祖母がお盆の墓参りに作ってくれていたぎゅうしぐれとだし巻きとおむすびを強く懐かしむことがある。何度かあの生姜が効いたぎゅうしぐれを何度も作ろうとしたが、なかなかあの味に辿り着くことができなかった。同じ食べ物であるが、家のそれとは全く味が違う。
よくすき焼きを外で食べると違和感を覚えるというが、その例えがわかりやすいのではないか。それが決して美味しくないというわけではなく、ただ違うのだ。ちなみにぼくにとってすき焼きは故郷ではなく大晦日の味である。しかし、ここ数年食べていた大晦日のすき焼きはぼくの思い出の味とは大きくかけ離れたものとなった。一時期までその大晦日のすき焼きが絶対的に持ち合わせていた優雅さやデリケートさや喜びなどが失われたような、食材が詰め込まれただけの鍋のようで、形式的に大晦日に親族が揃って食卓に「すき焼き」があるというだけのものとなっていた。とても好きだったすき焼きがあまり楽しみではなく、むしろ自分の期待を裏切るものとして恐怖さえ与えるものとなりつつある。そして、ぼくはもう日本にいないので、当分は大晦日のあの恐怖を味わうこともないのだろう。今、オランダにいると、すき焼きを食べたくても、すき焼きを作ることができないのでそもそも食べたいという感情は自然と消えていく。ぼくは日々、名前のない食べ物を作り食べている。名前のない料理、それはその家族の家庭料理だなと思う。自分の家族の家庭の味。
夕方、せっかくなので、ハラスを焼いて久しぶりにしゃけ茶漬けを食べたいと思い、17時に閉まるマーケットに向かって大急ぎで自転車を漕いだ。しかし、まだイースターホリデーなのだろう、マーケットのシャッターは閉まっていた。