2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.4.3

Translate

2024.4.3

 夕方、散歩がてら毎週水曜日のマーケットで食材を調達。今日は内容が良かったのか、いつもより早く出たこともあってか、賑わっていた。このマーケットは、いつかここで書いたかもしれないが、毎週水曜日に野菜の詰め合わせのようなものを買えるマーケットだ。デン・ハーグ近郊のオーガニック農家から集められたもので、ここで販売される野菜はしっかりとその野菜の本来の香りを含んでいる。野菜が育つのに向かない平坦な土地で生きていると、野菜の香りがふわっと立ち上がる感覚さえも嬉しく、その立ち上がりを高々と感じられる。
金曜日に「来週の野菜」と書かれたメールが届く。日曜日までに「No」と返事をすると、来週分をキャンセルすることができる。何も返事しなければそのままリストに入る。大体の総量を知るための方法だ。もちろん、野菜なので、毎週取れるものが全く内容が違う。時々、にんじん500g、玉ねぎ500g、じゃがいも500g…などというベーシックなものばかりが揃う日があり、あまり魅力を感じない。しかし、今日のように、レインボーキャロット500g、水菜300g、ほうれん草300g、ラディッシュ1束、カリフラワー1などの時は、Noという人が少ないからか賑わっているようだ。季節の変化や前週の天候不順をそのリストからも感じ取れる。いわゆる詰め合わせ野菜と違って、箱にすでに詰められたものを手渡しされるわけではなく、自分で、一つ一つの食材を手に取り、サイズを見て、重さを測りながら、それぞれを自分の手で選べるのである。今日はポトフを作りたいから小さめの玉ねぎがたくさん欲しいという時は、そんな風に手に取ることもできる。時々、「今日はたくさんあるからもっといっぱい取っていってね」と食べきれないほどの量をもらえることもある。この前はルッコラを袋いっぱいにもらった。予定の3倍くらいはあったんじゃないだろうか。もし玉ねぎ500gでは足りなく1kgほど欲しい場合は追加でお金を払えば、その日の在庫状況を鑑みて買うこともできる。そんな中でも個人的に気に入っているのは、自分で選択しない野菜が中には含まれていて、それがまた世界との繋がりを感じられるような気がしている。先週は、ヤーコンという野菜が入っていた。白いさつまいものようなものな見た目をした根菜なのだが、生で食べられてとても甘くみずみずしい。味と食感は、大根とりんごを掛け合わせたようなものである。レンコンのような食感とも言えるかもしれない。シャキッとしている。まあ、そんな普段なら買わないだろう野菜も遠慮なく入ってくる。今のぼくのように、家に篭ってメールを通じて人と連絡をとり仕事をしていると、世界との接点が不足しいていくが、何かを強制的に享受するということは、自分の中にない異物を受け入れそれをどう立ち向かうかということであり、それこそが社会で他者と生きていく力なのではないかと思う。この野菜の詰め合わせは、強制ではなく、自分たちの意思で自主的に参加しているが、そのレーンに乗ってしまったら自分自身に対して緩やかに強制を強いることもできるのだ。もちろん、最初に言ったように今週はいらないとNoということもできるため、受け取るも受け取らないも自分自身の選択である。この緩やかすぎる強制によって、あまり使わない野菜が入ってくることもあるのだが、それでもその異物を自分の中に入れ込む行為を楽しみたいのである。何事をも受け入れることを楽しむ。今日も緩やかすぎる強制によりレインボーキャロット、水菜、ラディッシュ、玉ねぎ、カリフラワー、白菜、じゃがいもを手に入れた。ほうれん草は量がみんなに分け与えるほどの量が取れなかったから、と何か好きなものを代わりに持っていってと、カリフラワーを代わりに持って帰った。