2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.4.4

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2024.4.4

朝は、少し作業をして梱包作業などを行い、ステラのオムツを買いに近くのスーパーマーケットへ行く。あまり期待していなかったが、街のスーパーでも犬用のオムツが充実している。サイズごとにきちんと整頓されていて、9-12kg用を買った。街のスーパーにこれだけの犬用オムツが売られているのは、多くの人が家の中での小便を警戒しているのか、もしくはそれだけ犬がこの街に多いということの証明か。実際にこの街に住んでいると、犬との共存を試みているシーンに出くわす。リードなしのエリアがそこら中にあることや、うんちの袋を捨てるゴミ箱が200mごとに並んでいることとか。それくらいうんちの放置が問題となっているのかと思うが、飼い主にとってもうんちを持ちながら歩くことがなかなか面倒だということもよくわかっている。政策を行う側も犬と飼い主の気持ちを理解していて、形式的に行われる日本の政策とは大きな隔たりを感じる。いつも拾われないうんちを見て、独善的でとても西洋的な風景だなと思う。作業をして、発送をし、必要なものを手に入れ、全て順調な午前を過ごした、風がものすごく強いが、そんなことも気にならないほどに意気揚々である。横から殴るように吹き荒れる風を浴びながら、今日は午後からデルフトまでサイクリングに行けるのだろうかと午後の時間を不安に感じた。これが今日一つ目の不安であり、何かを暗示するかのようだった。家に帰り、早速ステラに装着しようとするも買ったオムツがうまく装着できない。料理をしている聖子ちゃんに「これどっちが前とかある?うまく装着できない」というと、「尻尾出すところがあるでしょ、そっちが後ろ」と言われ穴を探したが見つからない。仕方なく、尻尾ごと入れ込もうかとも思ったが、入る訳もなければ、彼女の不快さを案じ諦めた。海外のペット用オムツは穴がないタイプなのかと思い、仕方なく尻尾の部分をハサミで穴を開けていると、キッチンで料理をしていた聖子ちゃんが第六感のようなものを働かせて「何やってる?」と手をとめぼくの方に振り返り、尋ねてきた。同時に、オムツを穿かされたステラを見て爆笑した。明らかにズレていて、ぼくの試行錯誤がそのまま表現されたような形を見せており、その姿は高校生の頃に流行った腰パンする若者たちを思い出させた。ステラも困惑した顔を見せている。ぼくは間違って12kg4歳用のオムツを買ってしまったようである。意気揚々といきったようにサングラスをかけ、イヤホンから流れるカートコバーンに身体をゆらし、子供用のオムツだけを買いにスーパーに行き、抱えて帰ってきたのかと思うとなんとも情けない気持ちになった。パッケージに犬と熊のあいのこのようなイラストが描かれていることと、装着方法にまたその犬と熊のあいのこのようなキャラクターが使用されていることがぼくを困惑させる理由だった。9-12kgと書かれていることもこの間違いを招いた。60枚入りのオムツはこのまま押し入れに眠ってしまうのだろうか。
昼食を食べて自転車でデルフトに向かう。40分くらい。デルフトのシティーホール前でマーケットが開催されていたので思わず立ち寄り、久しぶりにヘリングを食べた。ここではアムステルダムやアントワープのそれとは違って、内臓が綺麗に取り除かれただけの姿で容器に積み上がるように放り込まれていて、そこから自分で手で勝手に取って食べろというスタイルだった。19世紀の写真によくあるような、ヘリングの尻尾を持ち、空に向かって口を大きく開け、口に落とすようなクラシックな食べ方に憧れていただけに嬉しい。他にも野菜やフルーツを調達。どこも野菜の並べ方にスタイルを感じる。15種類ほどのジャガイモだけを扱うお店もあり、少しネーデルランドの風を感じた。いかにもネーデルランドらしい古い街並みとコンパクトさ、それに自信のある人々を見て、ぼくも聖子ちゃんもデルフトに住みたいと思ってしまった。そこには、大都市のように観光客に媚びた風景はなく、媚びるほどではない観光されるべき古い風景がまだそこには残っているような気がした。街が纏っている色が違うことがぼくにとってはとても大きなものに思えた。その色は、内陸部でその土地に文化があったことを表すようであり、その色や重厚な建物から市井の生活者が無意識に受け取るセンスというものは、マーケットでの野菜の並べ方一つにまで影響を与えているように感じるのである。デン・ハーグに住む意味とか、そんなことを改めて考えてしまうようである。