「ぼくにとっても心地よい距離、ぼくは決して親密な写真が撮れるわけではない、ある種の人生におけるエッセンシャルなサッドネスの含まれた写真を好み、サッドネスによって風景を描きたいのだ。エミット・ローズのような語りかける親密さを持って。」
昨日、こんなことを書いたが、今読むと自分自身でも難解だったので、きちんと自分の言葉を考察し少し加筆したい。親密な写真を撮るわけではないが、エミット・ローズのような親密さを持つとはどういうことか。
ぼくは決して肌の質感や仲むずましい姿、光に溢れた包まれるような暖かさのある親密さを連想するような絵を撮りたいわけではない。同時に、無機質でパーソナリティの欠落した写真が撮りたいわけではない。もちろん制作において、感情の欠落はぼくにとっては死を意味するようだし、ぼくが主観性の排除された感情のない作品を作るようなことになればそれはJun Iwasakiという作家の死なのだ。いや、ぼくという人間の無価値を表す。ぼく自身の感情の揺れ、思考の流れ、そんなものがきちんと作品に映り込めばぼくにとってはそれ以上に素晴らしいことはないと思えるし、そう思うときに主観的に生きることに対してブレなければ、発言や考え方のブレはブレないということ以上に左右にブレながらもブレた分だけ強度を増すような、しなることによって強くなる竹のようなものであればあるほど良いのではないかと思っている。包まれるような光で溢れた写真は人生の美しい側面を見せることに力を注ぐようで、人間の営みを美化するようで違和感を感じてしまう。ぼくは、人間の営みとはそんなものではなく、美しさだけではなく日常的なサッドネスに溢れていると思っている。それらに目を瞑ることなく、そのサッドネスに逃げることなく正面から立ち向かい、デリケートに捉え受け止めていくことによって、その感情を発酵させていくことが心や社会の豊かさに繋がるのではないだろうか。作家としてだけではなく、一人の人間としてそんな風に生きていたい。みんな作家であるし、みんな一人の人間でしかない。
改めていう、親密な絵を作りたいわけではない。しかし、エミット・ローズのように、語りかけるような親密さを持って写真を撮りたいということなのだ。そして、ぼくの作りたい絵の多くは人生においてとても重要な価値を持つサッドネスが姿を現す。
エドワード・ホッパーは、サッドネスを描いただろうが、彼の被写体に対する親密さを感じずにはいられないのではないだろうか。ロバート・アダムスも社会に警笛を鳴らすような写真を撮るが、彼のコロラドへの愛や親密さを包括しているように感じられる。ぼくは、そんな風に作品を作りたい。
昨日、こんなことを書いたが、今読むと自分自身でも難解だったので、きちんと自分の言葉を考察し少し加筆したい。親密な写真を撮るわけではないが、エミット・ローズのような親密さを持つとはどういうことか。
ぼくは決して肌の質感や仲むずましい姿、光に溢れた包まれるような暖かさのある親密さを連想するような絵を撮りたいわけではない。同時に、無機質でパーソナリティの欠落した写真が撮りたいわけではない。もちろん制作において、感情の欠落はぼくにとっては死を意味するようだし、ぼくが主観性の排除された感情のない作品を作るようなことになればそれはJun Iwasakiという作家の死なのだ。いや、ぼくという人間の無価値を表す。ぼく自身の感情の揺れ、思考の流れ、そんなものがきちんと作品に映り込めばぼくにとってはそれ以上に素晴らしいことはないと思えるし、そう思うときに主観的に生きることに対してブレなければ、発言や考え方のブレはブレないということ以上に左右にブレながらもブレた分だけ強度を増すような、しなることによって強くなる竹のようなものであればあるほど良いのではないかと思っている。包まれるような光で溢れた写真は人生の美しい側面を見せることに力を注ぐようで、人間の営みを美化するようで違和感を感じてしまう。ぼくは、人間の営みとはそんなものではなく、美しさだけではなく日常的なサッドネスに溢れていると思っている。それらに目を瞑ることなく、そのサッドネスに逃げることなく正面から立ち向かい、デリケートに捉え受け止めていくことによって、その感情を発酵させていくことが心や社会の豊かさに繋がるのではないだろうか。作家としてだけではなく、一人の人間としてそんな風に生きていたい。みんな作家であるし、みんな一人の人間でしかない。
改めていう、親密な絵を作りたいわけではない。しかし、エミット・ローズのように、語りかけるような親密さを持って写真を撮りたいということなのだ。そして、ぼくの作りたい絵の多くは人生においてとても重要な価値を持つサッドネスが姿を現す。
エドワード・ホッパーは、サッドネスを描いただろうが、彼の被写体に対する親密さを感じずにはいられないのではないだろうか。ロバート・アダムスも社会に警笛を鳴らすような写真を撮るが、彼のコロラドへの愛や親密さを包括しているように感じられる。ぼくは、そんな風に作品を作りたい。
今日は、午後、海沿いでイギリスとオランダの間に遠慮なく吹く風を和らげるように草を食べる羊の群れを見て、ビーチで寝転がっていた。