2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.3.24

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2024.3.24

日曜日。今日もまたあまり生産性がない日。生産性がない日でも、波があるよりは少しずつの生産を続けられる方が結果的にたくさん積み重なっていくように思うので、1日の生産量はあまり気にしないようにしたい。朝は、聖子ちゃんがパンケーキを作ってくれた。マッサージとかヨガとか運動とかしていると、身の回りについているものを取り払いたくなる。市井の洋服のトレンドがシンプルなものへと移行していくこととかも多少なりとは理解できる。それは決して視覚的現象ではなく、人々の思考と行動から影響を受けているものなのだ。昼過ぎ、ピッツァ生地を仕込む。粉が多かったせいか、酵母の量が足りなかったのかあまり発酵せず。まあそれなりに美味しかった。夜、伊丹十三『ミンボーの女』鑑賞。
数日前、自分のオランダ移住というものが本当に自分の人生において、聖子ちゃんと2人の人生において良い選択だったのか、疑い始めたということを書いたが、昨日大江健三郎の批評や彼の文章を少し読んだ中で、自分の中にいつもあったはずの精神を再び思い出すことができた見。それは、きっとぼくが大江作品から影響を受けた精神であって、大江先生の言葉を借りるなら「死と再生」の精神なのだ。自分の選択を受け入れることとか、選択したことを後悔した時に、もしくは選択した結果が間違えていた時に、そこでどう立ち振る舞えるのか、何をどんな風に受け入れるのか、今ぼくはそんなことに実践しているのだ。と言い聞かせる。
大江先生の「死」という言葉を「絶望」と言い換えるなら、人間はいかにその絶望から復活し再生していくのか、その人間らしい力強さにぼくは希望を持っているし、人間の強さを感じている。「絶望の縁でダンス」この言葉は大学生の頃から書いている言葉だなとふと思い出した。大江先生はぼくが何をいうまでもなく偉大だ、先人の姿は後の時代を生きる人々、「新しい人たち」に大きな影響を与えるのだ。偉大な人がいたということは、自分の心の支えになる。