2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.3.17

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2024.3.17

デン・ハーグの日曜日は、街中の空気が動いていないことがよくわかるほどにスッと静かである。
朝起きて、あまりぐっすり眠れなかったので寝起きがあまり良くなく、散歩に行くのも面倒だなと思っていても、一度出てしまうと楽しくて仕方ないということもよくある。それが血圧的な話なのか、気分だけの問題なのかはよくわからないけれど、血圧が上がると大体嫌なことはそれほど嫌でなくなるし、面倒だったことも一度初めてしまえばそれを楽しんで行うことだってできる。ステラと散歩していると、そんなこちらの気分が乗らない時に限って、驚くほど従順に横について歩いてくれるので、気分が良くなってくる。面倒と感じるのは、今その現状を変えたくないということで、たとえば、布団が暖かいから動きたくないとか、部屋でゆっくりしているから行きたくないとか、そういうことだと思う。だけれど、面倒なことは、嫌いなこととはまた違うので、一度始めてしまうとあの時の面倒という気持ちさえもどこか遠くへ行ってしまう。それが本来自分が嫌いなことではないからだろう。しかし、嫌なことでも継続していると慣れてしまって嫌でなくなるのだろうか。時間通りにスケジュールをして動くのは好きだけれど、会社で働くなんてことはできないと思っていたが、6年も会社で働いていた。それに、ぼくは戦うのは好きじゃないが、それさえも慣れてしまえばできるようになるのだろうか。そんな風に考えると、人間というのは、「面倒だ」とか「慣れてしまえば」とか、静物と違って、変化するのだなと思える。生き物だから変化することで生命を繋ぎ生き延びてきたので、それを悲観するべきではないが、時に大きな間違いを犯しているということにさえ気付かず慣れてしまうのだろう。人間は、健康な精神と心で、「何が面倒なのか」「何に慣れたらダメなのか」を具体的に考えながら律することができる。それが生物の中でもこうやって大きな成長を遂げてきた人間なのだろう。
夕方、マンチェスターユナイテッドvsリバプールを観戦、とても面白い試合だったが、クロップファンのぼくとしては少し残念。彼がいつも友人デイビッド・ベンジーに見えてならない。見終わった頃には部屋は真っ暗になっていた。日曜日はとても静かである。