2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.3.16

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2024.3.16

朝の散歩でジャスパーモリソンのような人に会った、彼も犬の散歩中であったが、ブルゾンを羽織り、ワークパンツのような太めのベージュのチノパンにレザーのシューズを履いていた。首にリードをかけ、頭に黒縁アセテートのメガネを乗せ、右手はパンツのポケットにしまっている。そのまま友人と遊ぶような、そのままふらっとどこでも行けるような格好をして、ゆっくりと彼のスピードで歩いている。犬は彼のペースを見ながら前に行ったり、後ろを歩いたり自立して歩いていた。
2020年の1月2日だったと思うが、ぼくは銀座でジャスパー・モリソンと会った。それは、偶然だったが、20分ほど立ち話をした。彼はデザイナーになる前には本を売ってお金を稼いでいたこと、そしてその時知った色々なことは今でもとても役立っていて、本はいいよと本棚の前で話をしてくれた。人に対して対等に話してくれて、自信を与えてくれるような人だった。それからも一年に一度ほど見かけては挨拶したりしていたが、小さいながらに彼らしい服装や立ち振る舞いをしている彼にいつも羨望の眼差しをむけていた。それは、彼のスタイルが好きだとか作るものが好きだということ以上に、彼の作るものと彼の振る舞いが彼自身の存在によって繋がっているように思えたことへの羨望の眼差しだった。ぼくも、ぼくの存在によって、作品とぼく自身の振る舞いや発言、趣味などが繋がる、そんな風にありたい。
何かを作っていたり、お店をしていたりすると作品や名前がある、しかし、本人に会うと、こんな人が作品を作っているのかと安心するような、さらに感心して興味を持つことは多い。そんな風に思わせる彼らは、本人の生きることの延長に制作物があるのだろう。
今日の散歩の男性も堂々としていて、興奮して彼の犬に急足で寄っていったステラを見て「Happy」とだけ声をかけてくれた。Happyと言える余裕がある、彼が作家かどうかは知らないが、きっと彼の作品もきっと堂々として芯があり、ハッピーなものなのだろうと思った。散歩はどこか目的地を作って時間に追われるようにせかせか歩くものではなく、どこへ行くでもなくゆっくりと歩くものだとふと思い出した。