朝、ステラの散歩に行く。最近は、毎日カメラを持ち歩いているのだが、朝ステラの散歩中に写真を撮っていると、「いいコンポジションあった?」と突然自転車に乗ったおじさんに、釣りをしているときに、「この辺釣れますか?」と声をかけるように声をかけられた。木々の緑のコントラストがきれいだなと思って写真を撮っていたが、その時のぼくの行動は少し奇妙なもので、ステラを連れて雑草をかき分けて中に入り、木に潜るようにして撮っていたので、突然声をかけられて自分でも笑ってしまった。もちろん向こうも笑っていた。まさか声をかけられると思っていなかったし、ましてや誰かに見られているとすら思っていなかったので、少し照れてしまい、木々の緑のコントラストがきれいで、という風には話せず、「Yes, nice composition there」と何も伝えられない返事をしてその会話は終わった。
デジタルカメラで写真を撮っていると、自分の撮りたいものを撮るという具体的な意識がこれまで足りていなかったことに気付かされている。ここ最近はLeica M6 50mmレンズでしか写真を撮っていなかったのだが、撮る枚数のこともあったのだろう、日常の中で撮りたい色とか構図とか、タイミングというものがある程度決まっていた。それを決めることが世界との接し方だとすら思っていた。デジタルカメラで撮り出してその日のうちに現像をする、特に今は現像の練習をしていることもあり、とにかく撮るようにしていると撮れるものから、撮りたいものを撮るという意識の変化が見え始めた。「自分の尺度でそこにある世界と対峙する」というところから、「自分が世界をこのように見たいと思っている」という風な変化だろうか。結構違うなと思う。iphoneを見返すと、撮った写真がかなり減っている、それはいいことだと思うけれど、こんな風に際限なく写真が撮れるとなると、撮り直しもできることもあるし、自分が撮りたいものを撮ろうという具体的な準備が足りていなかったように思えてきた。Leicaで撮っていると自分の尺度をまず持つことを強く意識させられるような気がしていたので、他人の写真を真似したりする必要がなかった。自分が撮りたいものを超えたものを撮ろうとする気持ちが強かったのだが、今は、自分が撮りたいものを完璧に撮るということが心構えとして必要なのかもしれないと思っている。それは、ネガティブではなく、きっとフィルムで撮る時への新しいエッセンスとして、強く効いてくる。と今は信じている。
塩を入れると塩分が強くなると思いがちだが、塩気が強くなると、酸味や甘みも際立つので、妙に甘く感じたりすることもある。今、ぼくは、自分の制作方法に塩を入れているような状態だなと思う。塩(デジタル)というこれまでのものと一見逆のものを入れることによって、これまでの甘みがさらに際立つはずなのだ。
デジタルカメラで写真を撮っていると、自分の撮りたいものを撮るという具体的な意識がこれまで足りていなかったことに気付かされている。ここ最近はLeica M6 50mmレンズでしか写真を撮っていなかったのだが、撮る枚数のこともあったのだろう、日常の中で撮りたい色とか構図とか、タイミングというものがある程度決まっていた。それを決めることが世界との接し方だとすら思っていた。デジタルカメラで撮り出してその日のうちに現像をする、特に今は現像の練習をしていることもあり、とにかく撮るようにしていると撮れるものから、撮りたいものを撮るという意識の変化が見え始めた。「自分の尺度でそこにある世界と対峙する」というところから、「自分が世界をこのように見たいと思っている」という風な変化だろうか。結構違うなと思う。iphoneを見返すと、撮った写真がかなり減っている、それはいいことだと思うけれど、こんな風に際限なく写真が撮れるとなると、撮り直しもできることもあるし、自分が撮りたいものを撮ろうという具体的な準備が足りていなかったように思えてきた。Leicaで撮っていると自分の尺度をまず持つことを強く意識させられるような気がしていたので、他人の写真を真似したりする必要がなかった。自分が撮りたいものを超えたものを撮ろうとする気持ちが強かったのだが、今は、自分が撮りたいものを完璧に撮るということが心構えとして必要なのかもしれないと思っている。それは、ネガティブではなく、きっとフィルムで撮る時への新しいエッセンスとして、強く効いてくる。と今は信じている。
塩を入れると塩分が強くなると思いがちだが、塩気が強くなると、酸味や甘みも際立つので、妙に甘く感じたりすることもある。今、ぼくは、自分の制作方法に塩を入れているような状態だなと思う。塩(デジタル)というこれまでのものと一見逆のものを入れることによって、これまでの甘みがさらに際立つはずなのだ。