2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.2.5

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2024.2.5

朝8時40分に家を出て、バスでアムステルダムへ向かう。
11時からアムステルダムのAthenaeum Boekhandelのアートブックバイヤー、アナ・フルーリとミーティング。「ごめんね、大きい方の部屋は今別の商談で使ってるみたいなの、ちょっと汚いけどここでいいかな?コーヒーでも飲みますか?」「全く問題ないですよ、これくらいが気分にちょうどいいです。ぜひコーヒーいただきます」「ブラックでいい?」「お願いします、ありがとう」有望デザイナーの住むアティックのようなオフィスに招かれ、一緒にコーヒーを飲みながら、契約書を交わす。インディペンデントパブリッシャーに対しての理解が深く、たくさんは買えないけれど取り扱いたいと言ってくれた。「インディペンデントがいないとどのブックショップも同じようになっていくからつまらないでしょ、私たちはできるだけサポートするわ」「ぼくもそう思います。忙しい朝の時間にお時間いただきありがとう」と、握手を交わし、ぼくはまだ残っていたテーブルの上のエスプレッソを飲み干しアティックのようなオフィスを出た。移動し、ゴッホミュージアムのリサーチライブラリーにいき、Van Gogh Musemuで開催されたエーテル・アドナン展の文献を読み漁る。ここのリサーチライブラリーには、日本語の文献もかなり多くあり、生前ゴッホがコレクションしていた数百点の浮世絵についての文献もあった。その中には、浮世絵から力強さと強い色彩に影響を受けたと書かれていたが、そもそもゴッホが浮世絵を手にする機会が多かったのも、1600年頃から始まるオランダと日本との交友関係が生んだものだと簡単に考えられる。日本人がゴッホに強い親和性を感じるのも、彼が世界的であるからとか美術史においてもとても重要なペインターであるからという以上に、日本との交友があったことも影響しているのかなと思うと、1600年頃の人間たちの功績の大きさを感じざるを得ない。と、書いてはみたものの、本当にオランダにたくさんの浮世絵が輸入されていたのか、ゴッホはパリで長い時間を過ごしていたので、浮世絵を見たのはパリなんじゃないかと思い調べてみると、やはりアムステルダムで見たわけではなく1800年代のパリで画商によって大量に仕入れられた浮世絵に理想郷を見出していたそうだ。今ぼくはオランダに住んでいるので、オランダでぼくが長期滞在ビザを取得し生活しようとしている無意識下にある理由みたいなものを何かをきっかけに追及しようとしてしまっている。ゴッホに影響を受けた幼少期を経て、パリに住み、今ぼくはオランダに住んでいる。社会や時代背景、政治的な理由など自分自身ではまだ気付けていないような自分の無意識の中にあるオランダに来た理由みたいなものをずっと探しているのである。
その後、移動しパブリックライブラリーでハーマン・メルヴィル『Bartleby, the Scrivener: A Story of Wall Street』を読み進める。また移動し、Hius marseilleのライブラリーに行きリサーチ。ライブラリーの価値を再確認している。都市部にいることのメリットはライブラリーが充実していることではないだろうかと思った。あと、ベンチがある街はいい街だなと思う。アムステルダムにはあまりベンチが見つからない。