2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.2.27

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2024.2.27

文章を書いていると、リズムが出てくるという話だが実は、リズムよくキーボードを打っているとその音に合わせて身体が音をキャッチしているのではないかとも思うのだ。ぼくは、文章というほぼ無形のものを想像力によって立ち上がらせることを目的としているが、なぜ無形がいいと思うのだろうか。彫刻やペインティングのように有形のものに美意識を感じているのだから、自分が作るものが有形であってはいけないわけではない。有形な写真を作品にしていると、有形なものを作る視点で、無形なものへの憧れが浮かび上がる。無形への憧れを抱き続けるのは、2011年に東日本大震災を経験し、2012年にフィジーに行き、2015年に当時住んでいたパリでシャルリーエブド襲撃事件を経験し、と20代の多くを移動する生活をしていたことによるものであるからであり、自分の作品がそんな大きな事件から影響を受けていないとはいうことは決してできず、有形のものから影響を受けながらも無形ものにトランスフォーメーションさせたいということかもしれない。崩壊とか、脱走とか、軽やかに動くとか、そんなキーワードが頭に浮かぶ。日々日記を書くことも大切だが、読める物語を紡ぐことがぼくには必要なのではないかと思ってくる。ぼくは、やはり執筆業というものにとても大きな憧れがあるのだ。
窓際で座ってパソコンに向かっていると、自分の身体が爆発しそうな感覚になり、それをどこかに出したいと思ったので、ストレス発散方法について友人に相談したところ、「ストレス発散ってよくいうけど、もちろん、外に解放することもそれが合う人もいるだろうけれど、個人的にはどれだけ自分の内側に入り込めるか、逆向きに解放するか、かな。そのベクトルを向ける方法として、運動はひとつの手法であるかもしれないね」と連絡が来た。ぼくが自らの意思でストレスを内側に溜め込んで、発酵しようとしている感覚にとても近いなと思った。発散ではなく、発酵させる、それがぼくの方法で、頻繁にうまくいかずに発酵させられずにただただ自分の中に膿のように溜まっていくこともあるのだけれど。ここ最近のストレスの原因は、荷物が届かないことや、なかなかものごとがうまく進まないことや、自分の選択へ疑問を持ち出したことなど、さっと考えられるだけでそのくらいある。今日のお昼くらいから、右の奥歯がとても痛い。それもまた大きな原因でもある。虫歯のように熱さや冷たさにキーンと響くようなものではなく、ズンズンと痛み、常に浮いたような感覚を感じる。噛むとさらに痛い。痛みであまり元気が出ない日だったので、21時ごろ就寝。