2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.2.26

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2024.2.26

今日は、ほとんど家から出なかった。ステラの散歩に行ったのと、16時に一度作業を切り上げ、散歩したくらいだ。夕方は家の近くのエコプラザでチョコレートとオーツを買う、スーパーで鳥肉を買う。夜は、またフォーを食べた。
日記を書いていると、書いていてもリズムが出てくるまでに時間がかかることがある。それは、単純に目が覚めていないとか、そういう話とはまた別で、実際に文字数を積み重ねないとリズムが出てこないのだ。リズムのある文章を書こうとすると、ある程度の文字数を打つべき必要がある。例えば、無駄な言葉を話すことによって、美しさが紡ぎ出されたり、本質が牙を向くことがある。それは、まさにレコードのようで、一度針を落とせば先に進めることしかできず、全てを通して聴くことになる。あまり大したことのない曲もその中にあるだろう。それがぼくが写真で制作する上でも、文章を書く上でも大事にしていることなのだ。
インタビューももしかすると、同様かもしれない。無駄な質問がないと重要で聞きたいことも聞けない。
ちょっと近い話で言うと、今朝ポリッジを作るときに塩を入れ忘れた。はちみつとヨーグルト、オリーブオイルをかける。聖子ちゃんが塩が足りないと言って上から塩を振っていた。ぼくも塩を振った。すると、甘みはしっかりと甘みを際立たせてくるし、酸味は正しく酸味を届けてくれる。全ての味覚が立ち上がってくるのを感じた。塩を入れると甘くなるというのを考えられるのは人間くらいだろうなと思う。
ポリッジの塩の話と、レコードの話とはまた別の話だけれど、どちらにも共通して言えることは何か直接的ではないものが他のものを際立たせていること、そんなことをきちんと認識していないとこのイベントフルな時代と世の中において、頭がおかしくなるよなと思う。「アンイベントフル」を愛するぼくにとっては無駄な文字の重要性とか、ポリッジの塩の重要性みたいなことを愛でていたいと思うのだ。