2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.2.10

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2024.2.10

朝、Michelで吉田文さんとコーヒーを飲む。文さんはデン・ハーグ在住で、オランダと元々住んでいたデンマークに拠点を置くのコンポーザー。出版社と作家活動に興味があると連絡をもらって会うことになった。初対面の表情や声のトーンなどをとってもきちんと育ってきたという印象を受ける感じの良い女性で、いかに自分が捻くれながら育ち、無理をしためちゃくちゃな日々を過ごしているのかを比較せざるを得ないといった印象だった。フィレンツェでパオロに切ってもらった髪もすでに伸びてしまい形を変えはじめ、角刈りのようになっていることもそれを後押しするようだった。もう5年もこの街に住んでいるのだが移動が多いこと、仕事柄家から出ないということで、あまりこの街のことをよく知らないとも言っていた。知らないとは言いながら、この街に来て、まだ2週間のぼくからすればパスタを茹でるお湯に塩を入れるくらい重要で有益なことをたくさん知ったような気もする。ロッテルダムやアムステルダムまで食事だけ行くこともあるし、日帰りでユトレヒトまで美術館に行くこともある、アントワープまで2時間かからないから学校に通う友人もいると話していて、この場所に住むというのは土地と領土や境界線を跨ぐという感覚を持つことなのだなと知る。ぼくは、この街にはビーチがあり、充実していそうな生活があり、それで充分だと思っていたが、確かに、食事やイベント、展示を見るとかだけであれば、メトロや電車で30分で着くロッテルダムへ行けばいいし、電車でもバスでも1時間で行けるアムステルダムもその選択肢の一つになり得るのだろう。また、文さんが神戸の方であったこと、そのおかげで関西人同士が話すときによく見られる文句のようにも聞こえる特有の会話が繰り広げられ、大きく見れば「同郷」みたいなものがコミュニケーションの幅を広げるように感じた。
それに何より個人的に良かったこととしては、自分の視野や思考がいかに凝り固まっているか、決めつけた思考を持ってしまっているかに驚くほど気付かされた。東京に6年間会社で働きながら住んでいたことで、得たことはたくさんあったが、失ってきたものは多かった。それは会社で働いたことが起因しているのか、歳を重ねたことなのか、結婚したことなのか、貯金をしたことなのか、何かはわからないし、むしろ全てが一因でもあるという風にも思える。失ってきたことは、自分の中の汚さとか無茶を許容するとか、ものを自分の決めた枠でみないとか決めつけないとか、上と下(もしくは左右を)とを一緒に歩くこととか、「理解できないこと、理解されないこと、だけどどこか優しさを含む」みたいなこそが自分の一つの特徴であったと思っていたのだが、そんなものはとうに消え失せ、それら全ては自分の心の奥底に眠っていた。全ての思考は整然とされはじめ、気付けば丁寧な人間だとか、きちんとしているとか、そんな印象を言われることが多くなった。自分でもかなり違和感を覚えはじめていた。それもあって、東京には住めない、日本には住みたくないと思い出したのかもしれない。ぼくはきちんとしていないし、丁寧でもない。この文章の読者ならわかると思うのだが、ぼくはこの文章のように、細かな言葉の間違い以上に文章のリズムとバイブスを大切にし、日記なのかジャーナルなのかエッセイなのか、もしくは散文なのかただの記録なのか、すら形容しづらい人間なのだ。だからそんな文章書き続けている。ツッコミどころはたくさんあるし、何者かに形容し難いが、それでも何か魅力を感じざるを得ないというような野生的な人間でありたいと思っているのだ。今日、継続した10年の海外生活の中でコンポーザーとしてフリーランスで仕事している文さんと話していると、自分がいかに固い思考を持ってしまったのかということに気付かされた。コンポーザーはこうだとか、そんなものは存在しないのである。もしそれが存在するとすれば、それはぼくたちが過去にすでに置き去ってきた遺産である。前に向かって進むときに、それらは文献としての価値はあるが、何かを見るとき、新しいものに対峙したときには、それは何でもないただの路上に転がる石ころのようなものとなるのである。
特に何を話したかとか情報を共有したとかではなく、この街にいる人と会い、言葉を交わし、エネルギーが交わったことが何より重要で、この街との接点が少し生まれ始めたようにも思う。