2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.2.11

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2024.2.11

朝起きると昨日の体調不良が悪化している。寒さからだろう、鼻水が水のように垂れ始め、くしゃみが出ている。熱はなさそうだ。まあ、体調が優れないのだが、いつも通りステラの散歩に行き、日記を書く。体調が優れない日はだいたい頭も動かないので、日記を書くことも、調べごとをするのにも骨が折れる、骨が折れるどころではない。頭がうまく働かないので、何もできない。やはり健康が一番大切である。体の不調は、いつものリズムを狂わせるので、それはぼくの心の健康にも良くない。ぼくはリズムが崩れることをあまり好まない。だから、朝はステラの散歩に行くし、デスクに座る。ぼくにとっては毎日継続して日記を書けているだけで、仕事があまりなくても、プロジェクトがうまくいっていなくても、日々の生活が整っていなくても、日記を書いているということがぼくの心の支えになって生活が苦しくても生き生きとしているようにも思うことがある。逆に、日々の生活をする分には少しくらいのお金の余裕があり、好きなものに囲まれ日々の生活が整っていても日記を書けない日々もたくさん経験してきた、その時は自分の存在価値のなさに心が苦しくなっていた。どちらにしても苦しんでいる状況が変わらないなと思うのだが、それだけぼくにとってはここで日々の自分の思考を少しでも書き出すことが自分の精神的な支えになっているのだろうと感じている。「書き出す」というか「吐き出す」ような感覚かもしれない。2012年から海外生活が始まり、2017年末頃からの6年間を日本で過ごし、また2023年末に海外での生活を始めた。自分が思っていることを話したいときに話せない環境がここには整っていると言ってもいいかもしれないが、だからこそこうやって文章にし、自分の思考の動きをここに吐き出しているのだろう。はっきり言って、文章として全く箸にも棒にもかからないようなものではあるが、ここには人の息吹と思考の動きがある。スポーツを見て奮い立つような、あれと同じようなものがこの文章には少なからずあるのではないかと信じているし、それがぼくが文章を書く理由である。
寒さからか体調を崩し、昼食を食べてから寝込む。身体中に毒が回るような、ジンジンとした感覚があり、フラフラとしてきた。風邪をひいた時には、いつも野口晴哉『風邪の効用』に書かれていたことを思い出す。野口は、「風邪は治すのではなく、経過させる」といい、風邪は身体をデトックスしているのだから、風邪をひいたら身体を弛め、温めて、安静にして、水分をたっぷり摂るといい、と話している。風邪が出て行ったら、身体がすっきりとするのだ。
聖子ちゃんは「日曜日の昼下がりなんだから、寝て過ごしたらいいんじゃない」と言っていたが、今のぼくには日曜日という都合の良い言い訳に感じてしまった。そのことを聖子ちゃんにいうと、「そうやって焦るもんじゃないよ。焦っても何も生まれないし、何も変わらない」と言われた。頭では納得しているが、実際問題隣で火事が起きているのに寝てられないみたいな風にも思ってしまう。まあ、言ってることはものすごくわかるんだけれど。野口がいうように身体を弛めるには、日常生活の悩みとかそんなことも忘れるだけの力が必要である。
近くいくつかのアワードの締切があるので、それに向かって作業をしているのだが、何度もいうが今日は全く頭が動かない。自分の作品がアワード向きではないのを一番わかっているのは自分自身だが、じゃあ出さないのかというと違う気もする。いい加減にしないといけない。そんなことを目を瞑りながら布団で考えているけれど、頭の中は、野口がいう身体を弛めることとは、真逆に向かっているなと思った。そんなことでは風邪の方も通り過ぎたくても通り過ぎれない。とにかく今日は全く健康な状態ではない、健康が一番大切である。