朝、日記を書き、1時間ほどステラと散歩に行き、ポリッジを食べて、イタリアの写真を組んでいる。このイタリアでの旅は、撮ろうと思っているイメージをあらゆる方法で収集し、一度、データとしてまとめる。それを元に撮るという方法で写真を撮っていたので、まとめやすい。この方法は、いやここまでイメージ作りの側面からネタを集めて撮るというのは、ぼくにとっては初めての方法で、おそらく多くのカメラを使う人たちが使っている手法ではあると思うのだが、今回は多くの時間を費やすことができたこともあり精度が高かったように思う。新居に入居したし、やっと物事が落ち着きを見せようとしている。こちらに来てまだ写真の仕事といえる仕事ができていないので、ポートフォリオの手直しから始めようと思っている。15時過ぎまでぶっ通しで作業をし、聖子ちゃんと散歩へ。家の近くのアンティークショップやハードウェアストアへ行く。
椅子とテーブルをそろそろ手に入れないとなと思っている。椅子はオークションでビットし続けているが、この国のオークション制度をまだ理解できておらず、いつも大体において、突然「残念ながら、他の方に購入されました」と連絡が来る。テーブルはこの新居には細長いのがいいので、ぼくらの理想としいているものはまあないので、自分で作ろうかなと思っているのだが、まだ答えが見つかっていない。木材のカットは日本と同様にハードウェアストアでしてもらえるので、問題ないのだが、それだけ買ってどれだけ送っても送料が€39なので、それなら一気に本棚やクローゼットに使う予定の木材も買いたいというのがお金がない人の考え方である。今のぼくなんかにはそれ以外の考え方ができずにいる、まずはテーブルを作った方がきっとクオリティーオブライフが何十倍にも増すのだろうが、頭ではわかっていても意外と行動に移せないというのが人間でもある。車を持っている友人とか家族とかもいないので、お金で解決するか自分たちでなんとかするしかない。同時に、これをいうと痩せ我慢のように聞こえるのだろうが、別にはっきり言ってそれを苦だとすら思っていないのだ。床に座って、段ボールの上にクロスを敷いて食事をする。壁に背中をもたれかけさせ、床に座って、段ボールの上にパソコンを置いて文章を書く、作業をする。だだっ広い、部屋の白い壁とヘリンボーンの床を眺めて、窓の外に飛んでくる鳥をぼーっと眺める。今はそれで充分だし、いつかテーブルとか椅子とか、ソファとか、いろんなものがこの部屋を埋め始めた時に、この空っぽの空間を懐かしむ時が必ず来るのである。その時には、空っぽにすることはできない。空っぽは今しか味わうことができない、プリミティブなものである。今のこの家は、まさに一芯二葉の上等なお茶と同じくらい尊いものなのである。発酵してしまうとまた違うものが生まれるのだ。帰り道、ミドルイースタンのエリアで、洗濯機を買う。数日前に、行った時にも話を聞いていたのだが、今日も交渉。50代で頭のてっぺんが少し薄くなったチャビーという言葉がとても似合う怒り顔のオーナーが、今夜持ってきてくれることになった。あまり英語が通じないので、少々の不安もあるが、10畳くらいの小さなお店に隙間なくびっちりと洗濯機を取り揃える彼は、きっとプロフェッショナルに違いない。一時金を支払い、「前に君と話した後に、彼は洗濯機のプロフェッショナルだろうね」と彼女と話したんだということを薄頭のチャビーなオーナーに伝えたら、その怒り顔から誤魔化しの効かない笑顔が溢れてきた。「プロフェッショナル」という言葉を理解したのだろう。移民という意味で、ぼくも彼も困っているし、困っている人を助けたいという気持ちを持つのは全世界共通である。言葉がそれほど必要ではないこともある。19時ごろ電話がかかってきた。「家の前についたよ」車を路駐し、洗濯機をバンから下ろす。バンのバックドアを開けっぱなしにして、ぼくの家に運び込もうとしていたので、「閉めようか?」と聞くと、「it’s okay! No fine because it’s open」と自慢げなウインクを交えてとてもシンプルな英語を話した。彼がこれまで路駐をとられたことがないというようなウインクだった。これも生きる知恵である。洗濯機を一緒に階段を運びあげるが想像以上に重い、ぼく送料負担してるのになとか思っていると表情に出たのか、薄頭のチャビーなオーナーは笑いながら「I am okay? You?」と力がないな青年というような表情をしてきた。そのあとは、もちろんプロフェッショナルなので、全て問題なくセットアップして、「家で家族とディナーだから」とそそくさを帰って行った。今年ももう2月がスタートする。Time fliesというが本当に飛ぶように早い。日本だと光陰矢の如し。
椅子とテーブルをそろそろ手に入れないとなと思っている。椅子はオークションでビットし続けているが、この国のオークション制度をまだ理解できておらず、いつも大体において、突然「残念ながら、他の方に購入されました」と連絡が来る。テーブルはこの新居には細長いのがいいので、ぼくらの理想としいているものはまあないので、自分で作ろうかなと思っているのだが、まだ答えが見つかっていない。木材のカットは日本と同様にハードウェアストアでしてもらえるので、問題ないのだが、それだけ買ってどれだけ送っても送料が€39なので、それなら一気に本棚やクローゼットに使う予定の木材も買いたいというのがお金がない人の考え方である。今のぼくなんかにはそれ以外の考え方ができずにいる、まずはテーブルを作った方がきっとクオリティーオブライフが何十倍にも増すのだろうが、頭ではわかっていても意外と行動に移せないというのが人間でもある。車を持っている友人とか家族とかもいないので、お金で解決するか自分たちでなんとかするしかない。同時に、これをいうと痩せ我慢のように聞こえるのだろうが、別にはっきり言ってそれを苦だとすら思っていないのだ。床に座って、段ボールの上にクロスを敷いて食事をする。壁に背中をもたれかけさせ、床に座って、段ボールの上にパソコンを置いて文章を書く、作業をする。だだっ広い、部屋の白い壁とヘリンボーンの床を眺めて、窓の外に飛んでくる鳥をぼーっと眺める。今はそれで充分だし、いつかテーブルとか椅子とか、ソファとか、いろんなものがこの部屋を埋め始めた時に、この空っぽの空間を懐かしむ時が必ず来るのである。その時には、空っぽにすることはできない。空っぽは今しか味わうことができない、プリミティブなものである。今のこの家は、まさに一芯二葉の上等なお茶と同じくらい尊いものなのである。発酵してしまうとまた違うものが生まれるのだ。帰り道、ミドルイースタンのエリアで、洗濯機を買う。数日前に、行った時にも話を聞いていたのだが、今日も交渉。50代で頭のてっぺんが少し薄くなったチャビーという言葉がとても似合う怒り顔のオーナーが、今夜持ってきてくれることになった。あまり英語が通じないので、少々の不安もあるが、10畳くらいの小さなお店に隙間なくびっちりと洗濯機を取り揃える彼は、きっとプロフェッショナルに違いない。一時金を支払い、「前に君と話した後に、彼は洗濯機のプロフェッショナルだろうね」と彼女と話したんだということを薄頭のチャビーなオーナーに伝えたら、その怒り顔から誤魔化しの効かない笑顔が溢れてきた。「プロフェッショナル」という言葉を理解したのだろう。移民という意味で、ぼくも彼も困っているし、困っている人を助けたいという気持ちを持つのは全世界共通である。言葉がそれほど必要ではないこともある。19時ごろ電話がかかってきた。「家の前についたよ」車を路駐し、洗濯機をバンから下ろす。バンのバックドアを開けっぱなしにして、ぼくの家に運び込もうとしていたので、「閉めようか?」と聞くと、「it’s okay! No fine because it’s open」と自慢げなウインクを交えてとてもシンプルな英語を話した。彼がこれまで路駐をとられたことがないというようなウインクだった。これも生きる知恵である。洗濯機を一緒に階段を運びあげるが想像以上に重い、ぼく送料負担してるのになとか思っていると表情に出たのか、薄頭のチャビーなオーナーは笑いながら「I am okay? You?」と力がないな青年というような表情をしてきた。そのあとは、もちろんプロフェッショナルなので、全て問題なくセットアップして、「家で家族とディナーだから」とそそくさを帰って行った。今年ももう2月がスタートする。Time fliesというが本当に飛ぶように早い。日本だと光陰矢の如し。