2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.31

Translate

2024.1.31

午前中に家の作業を終え、メトロでロッテルダムへ行き、Reginaでランチ。歯茎に鼻ピアスのようなものをしている自分のリズムに巻き込むのが上手い穏やかな笑顔のスタッフがいた。話すときにそれが痛々しくて、体が縮こまった。その後、歩いてアートロッテルダムに行く。今年で25回目を迎えたそうで、90年代の終わりもしくは00年代から行われているこのフェア、93年に産声を上げたドローグの影響などもありスタートしたのかなと思ってネットで調べてみたがあまり有力な情報は掴めず。ドローグの活動が、アートロッテルダムへの影響が少なからずあったことは否定できないと思える。ドローグ、名前やいくつかのプロダクトは知っていたがはっきり言って何かをあまり詳しくは知らなかったので、少し調べてみたが、93年のミラノサローネで産声を上げ、その後オランダを中心にデザイン業界にセンセーショナルな旋風を巻き起こした。雑誌DESIGN FOR INDUSTRYの編集長であったレニー・ラマカースと、プロダクト・デザイナーでDesign Academy Eindhovenで教鞭を取っていたハイス・バッカーによって「何色にも染まらない、ユーモアとウィット、そしてちょっぴりの皮肉をあなたの日常に」をコンセプトに活動。彼らを中心に集まったテヨ・レミ、マルセル・ワンダース、ユルゲン・ベイといった若手デザイナーらによって、アートとプロダクトを問うコンセプチュアルなもの作りを展開していた。と、書いてみたが、こんなことはここに書くことでもないのでというか書くのがアホらしいというか、ここではぼくの思考の巡りを記すべきである。まあ、書く内容書かないことはどうでもいいとして、ドローグで面白いなと思ったのが、彼らへの影響を与えたのはレムコールハースだったこと。彼の「ヒューマニストとしての理想を守るために戦うという態度」が大きくドローグやその後のオランダデザインに影響を与えたということを考えると、もしくはオランダ人らしく「理想を守るという態度」がデザインにも大きく影響を与えていると考えると、はっきり言ってドローグプロダクトと呼ばれるものとの違いに大きな違和感をぼくは感じざるを得ないのである。ぼくがオランダデザインをあまり理解できていない大きな部分はそこにある。
今、今日のこの文章はつまらないなと書いていて思った。でもつまらない日がある方が、読む方はいいんじゃないかな?どうでしょうか?ここで終われないので、もう少し続けます。
アートロッテルダム、日本人の作家の作品を展示するギャラリーが一つもなかったことが何を示唆するのかなどと考えていたが、あまり具体的な理由を見つけられなかった。ヨーロッパ、特にアングロサクソンの文化がかなり強くみられるこの国にいると、日本人の作家やアーティスト、ファッションデザイナーなどが、エクスペリメンタルやアヴァンギャルドでしか成功していないことの理由の一つに、現代が全世界的にアングロサクソナイズドされていることが挙げられると感じることがとても多い。いつまで経っても、日本の文化はインスピレショーンの一部でしかない。作家も、それを利用したかのように、ポジティブにレイシズムを受け評価されているように感じることも多い。80年代におけるコムデギャルソン川久保であってもそうだったし、それは現代の写真を扱うアーティストにも言えることだと思う。その世界で異物であること、80年代もそうだったとは思うが、このますますアングロサクソナイズされていく現代でも同様に一番容易く生き延びる方法かもしれない。今日も、そんな風なアングロサクソナイズドする世界について聖子ちゃんとカフェでカプチーノを飲みながら議論したが、それについてはまた改めて書きたいと思っている。白人の中でも「自分たちが常にジャッジする立場にある」ということをネガティブに捉えている人も増えていて、大きな議論を呼んでいるらしいよと聖子ちゃんが言っていた。非常に面白い議題なので、本にでもしたいくらいである。
つまらない文章の最後に書くとすれば、今日の学びは色々なものを見ても、何を言われても「ブレないこと」。今日の文章の終着点をここにしておく。