2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.9

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2024.1.9

今日はステラの誕生日。本当の誕生日はわからないので、ステラがうちに来た日が誕生日としている。今日で丸2年が経った。東京が大雪で、田園調布の家の前が凍って歩けなかったあの日から、もうそんなに時間が経ったのだ。時間が過ぎるのはとても早い。朝はVondel Parkへ行く。その後、Rietveld Academyへ。学生は自信のある顔と身体の動きをしているなと思った。みんな自信と余裕を感じる振る舞いをしている。Rietveld Academyの学生がそうなのか、芸術系大学特有のものなのか、もしくは学生特有のものなのかはわからないが、勢いがある。ぼくたちも学生の頃はこんな風に振る舞っていたのだろうか。このような振る舞いを「イキっている」という言葉で表現することがあるが、ある敏腕編集長に言わせるとフランス人にはイキっているという概念自体が存在しないらしい。フランス人とRietveld Academyの学生に関係はないが、この学校の40%は海外からの学生で、コーヒーを飲んだキャンティーンでもフランス語が飛び交っていた。
明日、この家を出なければいけないので、帰宅後掃除と片付け。はっきり言って、どこから片付ければいいのかわからない。夜は、冷蔵庫の余り物で、聖子ちゃんが料理をしてくれた。「得意料理は?」という質問が冷蔵庫のありもので美味しいものを作ることに壁を作っているのではないだろうか、言語のないものはこの世の中にはとても多い。行動やこの世の中に存在するものには、まだ名前の付いていないものがたくさんあり、それらを見るためにビジュアルというものが存在するのかもしれないし、それであれば写真というのは世の中にかなり大きな影響を与え続けられるのではないかと思うのである。言葉がないが、そこには確実に存在するものを見るということ、認識するということ。なぜ大聖堂にフレスコ画が描かれているかというと、言葉のわからない人や失読症の人にも聖書に書かれていることを理解するためだと言われているが、ビジュアルを共有する意義というのはそういうことなのだろう。今日の夕食は、名前のないミールだった。夜は、明日からのお灸をする。明日は、朝5時おきなので、早めに就寝と思ったが、結局24時にベッドへ。