2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.30

Translate

2024.1.30

朝から、ステラを連れて歩いて30分ほどのところにあるハーバーへ。トレーニングを受けてからチョークチェーンに切り替えたので、ぼくたちのことをセーフスポットだと思って歩いているようだった。隣にくっついて歩いてくれる。ハーバーの手前にはオフリーシュで歩き回れる森のような公園があり、人のための公園というよりかは犬のための公園である。森全体をドッグランにしたような感じというと想像しやすいだろう。GAMMAという日本でいうところのVIVA HOMEやコーナンPROのような、実家の近くいうとMUSASHIのようなホームセンターに行き、木材を物色。部屋のあれこれの下見。
明日は、写真家マークから招待を受けて、アートロッテルダムのオープニングに参加する。しっかり売り込みと営業をする機会になればいいなと思う。
そういえば、今日新しくオランダの銀行口座を作ったのだが、Savings Account日本でいうところの普通預金講座のインタレストが年間で3.51%だった。「€100,000入れておくと、約€3,000が増えますよ」という謳い文句だったが、ふと疑問に思ったのが、みんな€100,000くらいの貯蓄があるということなのだろうか。その疑問を持ちながら街を歩くとみんなウハウハしているように見えなくもない。貯金をしているだけで、家賃2ヶ月分が増えるのだ。一年を10ヶ月で生活しているようなものだろうか、いやもしくは2ヶ月のお金の全くかからないバカンスがあるようなものか。もし
その1/10の€10,000入れていたとしても年間で€300増えるのだ。日本円に換算すると5万円ほどである。ここのところ、ユーロも高騰しているし、気付いたらもとない貯金が驚くほどに減っているということも起きているので、こうやって日々お金について最近よく考えているのだが、増えない。全く増えない。そういえば、イタリア南部のプーリア州にあるコムーネ、アルベロベッロにあるトゥルッリと呼ばれる住居は、屋根が取り外しできるような構造になっているらしい。その理由は、14世紀半ば頃にまでさかのぼると、当時、地域一帯は未墾の土地だったのだが、この土地の領主がナポリ王に無断で街を興し、土地開拓のために農民たちを移住させた。領主は土地の税金を支払いたくないがために、農民たちに簡単に解体できる石積みの家を作ることを強要させたいうのである。また民間伝承のような話である。そのため、ここの住人たちはモルタルなどの接着剤を使わずに、この地域で採掘される石灰岩のみで家を建てているのである。今では、ここはオリーブで有名な農村地帯になっているのだ。この世界遺産にまでなっている建造物は、税金を逃れるために作られたものだったのである。そして、イタリアの一大産業を支える土地になった。国に背くことで、歴史と文化を作り上げたのである。それと同じような例として、日本でも例えば奈良の町屋は鰻の寝床のように奥に細長い。それは、当時道路に面している幅で税金を納めていたからで、できるだけ道路に面する幅を狭くすることで税金対策をしていたそうだ、これも民間伝承のような嘘のような話だが、奈良にある世界で一番古い墨屋である古梅園の女将さんが教えてくれた。奈良も重要文化財の街である。さらにいうと、オランダにも同じような例があり、家が縦に細長いのだが、奈良と同じような理由だったと聞いたことがある。全ては「いかに税金を納めずお金を使わずに生活するか」ということから派生し、人々が小さい頭で知恵を絞り出して、クリエイションしてきたものが形となってきたのだ。その全てが、世界遺産や文化財として国によって保護されているのも面白い話だなと思った。
かなり話はズレたのだが、結局のところお金がないなら、減らさないことと、無いなら国に背を向けながら知恵を絞って面白く生きるべきということだ。その結果生み出されたものが、1000年後の世界遺産になっているのかもしれないと思うと、お金がないことにもワクワクしてきませんか?
最後に話を少しズラすが、この日記のタイトル『2100年の生活学』は、21世紀の人間が生活の中でどんな風にものに対峙に思考を巡らしていたのかを記録し、22世紀の人間に届けたいという願いを込めて付けられたタイトルなのだ。ここに拙い文章で絞り出されたぼくの思考の動きもきっといつかは貴重な文化財として国によって保護されるかもしれないと思うと、自分自身の思考の動きを言葉ないしは文章のリズムによってきちんともれなくアウトプットしていきたいと強い使命感すら感じるのである。