2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.22

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2024.1.22

今いるコムーネ、ソヴィチッレのローシアで過ごす最終日。あっという間の1週間だった。あの大変な移動の日からもう1週間も経ったのかとは思えない。今でも鮮明に思い出すことができる。
朝日を浴びに日の出前に車を走らせる。朝日を浴びるつもりが、浴びても浴びてもものすごく寒く、三脚を持つ手が凍傷になりそうだった。家に帰り、家の近くのAssi Barへ。このコムーネにあるほとんど唯一と言ってもいいカッフェである。外観がどうも好きになれず、なんとなく敬遠していたのだが、最終日だからということで入ってみた。聖子ちゃんもぼくもカプーチョ。それに、クレマのペイストリーとピスタチオのブリオッシュ。カプチーノのことを「カプーチョ」と注文する人がいるので、ぼくも真似をして注文している。それに、みんなちょっと喜んでくれるので、「ボナジョルナータ」も乱用している。言い回しがものすごく多いので、調べるより耳で聞いた言葉をそのまま使う方がいいのかなと思っている。例えそれが、「またね」ではなく、「では、ごきげんよう」みたいなちょっと古風な言い回しだったとしても、イタリア語ができないツーリストが「またね」ではなく「では、ごきげんよう」と言っていると面白いじゃないか。Assi Bar、ここはカッフェであり、パスティチェリアであり、バールなのだ。さらに、タバッキやパニフィシオでもある。朝は5時からそして夜は22時まで営業している。カッフェであり、パスティチェリアであり、バール、ローカルワインの横にチュッパチャップスがあり、チップスがあり、タバコやロトが売っているかと思いきやその横で名前の入った誕生日ケーキが用意されている。このコムーネの全てを担い、潤滑油となっているような場所である。Assi Barからの帰り道に、聖子ちゃんが「デン・ハーグの家の近くにもAssi Barがあればいいのに」と言っていた。ぼくは「Assi Barにはイタリア中部のコムーネに住む人たちなりの振る舞いがあるからいいんであって、デン・ハーグにあってもいい場所だと思えないと思うよ。デン・ハーグにあって、オランダの人たちが来ていても、あんまりこのパン美味しくないねとかいうんじゃない?」と言うも、「ビジュアルとか味とかそういう話ではなく、場として機能している場所という意味でデン・ハーグにあるといいよね」と言った。確かに、この場所は、このコムーネに欠かせないものとして、存在している。イキるわけでもなく、ドヤと自分たちがやっていることを自慢するわけでもなく、その場所で生まれる前から実家にあった家具かのようにそこに存在し、人々が利用している。すべての人たちが通るべき場所といったように多くの人たちが訪れる。ここでもカッフェはカッフェであり、ぼくは「腐ってもイタリア人はイタリア人だ」とこの旅で口癖のように言い続けているが、まさにど田舎のコムーネにあるカッフェでも、ここはイタリアのカッフェなのである。ペイストリーとエスプレッソを注文し、先に用意されたペイストリーを立ちながら食べ、食べ終わる頃にエスプレッソが届く。それに砂糖をいれ、スプーンで時計回りにぐるぐる3周ほどかき混ぜ、カウンターを正面にぐいっと一杯。その後、その小さなカップを右手に持ったままカウンターに対して左90度の角度に向き直し、残っているエスプレッソをさらにぐいっと。また正面に向き直す、一度カップを置く。そして、正面を向いたまま砂糖が溜まったどろっとした残りを流し込む。立ち去る。これが一番多いトスカーナのエスプレッソの飲み方である。ここでも都市部のそれと同じ習性を見ることができる。
家に篭り作業をし、食材を買いにCoopへ。興味があるからか、音に慣れているのか、音が近いのか、理由はわからないが、どんどんイタリア語を習得し始めている。話せはしないが、どのチーズがサンドウィッチにいいのか、パスタにいいのか、などコミュニケーションの中から理解できるようになってきた。カボネロとピアツェンツァ産のペコリーノ、フォカッチャを買う。数日前にピアツェンツァでレストランに入ると、ペコリーノがテーブルにどすんと置かれたので、それからピアツェンツァのペコリーノが気になっていた。家に帰り、カボネロを茹で、ペコリーノと和えて、フォカッチャと食べる。今週末からのオランダの生活の準備をしていると窓の外は暗くなっていた。さらに作業を進め、夜は、カボネロとペコリーノをリガットーニと食べる。
このコムーネにいる時間はあっという間に過ぎ去った。トスカーナで、あまり調べずなんだかわからない場所ばかり立ち寄っていたので、色々と旅路について想いを馳せていたが、ぼくたちは観光地に行く旅ではなく、その土地で起きていることを自分たちなりに咀嚼する旅の形を求めているのだなと思った。なんでも調べられる時代において、情報を収集することは大事だけれど、その中に自分なりの発見をする余白を残しておきたい、きちんと余白を残さないと全てが確認作業になってしまうじゃないか。調べて、実際に行って、写真を撮って、予想通りよかったねと言って帰る。そんな旅ははっきり言ってつまらないじゃないか。もっとトラブルを起こして、冷や汗をかいて、寒くて凍えそうになって、路上で怒鳴られたりして、そんなことが自分の心を柔らかくしてくれるような気がするのである。
明日は、農道を通り道中にあるレストランに立ち寄りフィレンツェに戻り、夜は、Della Pergolaでイザベラ・ロッセリーニの演劇『Darwin’s Smile』を鑑賞予定。久しぶりに街に出るので、楽しみだ。