2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.21

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2024.1.21

7時20分に車に乗り込み、車で朝焼けと日の出を見る。このあたりの日の出は7時45分だ。路上で朝日を浴び、そのまままっすぐに車を走らせモンタルチアーノへ行く。1888年創業のCaffè Fiaschetteria Italianaでエスプレッソを飲む。朝からピンと空気の張りつめた店内、気品と清潔感のある店構え。きちんとシャツにネクタイをしてジャケットをきて、キビキビと動くカメリエーレ。特に大きなお店でもなければ、混んでいるわけでもない。客は、ぼくたちを含めて3人しかいない。一人でコーヒーを淹れ、全ての仕事をこなしているが、誰にも見られていないからといって何かを怠るわけでもなさそうである。コーヒーカップをウォッシャーいれボタンを押す、隣部屋にあるエノテカのワインボトルのラベルを前面に出し均等に並べ直している。どの行動もいやらしくもなく、作られた姿でもなく、このお店にもともと備わっている気品がカメリエーレの彼にも伝染しているようなカッフェであった。立ちながらエスプレッソを飲んでいると、途中でモデル風のスタイルのある服装を身に纏った女の子2人が来た。この小さなコムーネに住んでいるようで、カメリエーレも顔馴染みといったように話し始めた。こういうコムーネに住みながら、ファッションウィークなどの時期に街へ出て仕事をするのだろうか。ニュージーランドのクライストチャーチからトンネルを抜けた港町リテルトンにも、そのようなスタイルで生きているモデルの子達がいた。彼らも同様に自分のスタイルで洋服を纏い、ルーザーのように気楽にそこにある空気と時間を感じながら、何か街の邪悪に触れることもなく自分の芯にあるものを見つめながら生きているような目をしていた。特殊な仕事であるが故に、ある種の人間らしさというか、本人の心の芯のようなものを常に握りながら生きている必要があるのかもしれない。モンタルチアーノは、世界遺産のコムーネ、サンジミニャーノとは全く違って季節がら閑散としていたせいもあるのだろうが、生活の香りがあり、どのお店にも客に媚びたような印象はなかった。タバッキやカフェ、街路、小道、その全てがここの住人によって循環しているような、雰囲気がふわつくことのない場所であった。夏に来ているとまた違う印象を受けるのだろう。書き忘れたが、Caffè Fiaschetteria Italiana、このお店には埃一つもかぶっていなかった。イタリアにきてすごく驚くのが、どれだけ古いお店でも、インテリアの装飾が多いお店でも、広いお店でもほとんどのお店に共通しているのが埃がかぶっていないことである。みんなとても綺麗好きで、こんな小さなコムーネでも人々はスタイルを持ち仕事をしている、これがトスカーナのプライドだろうか。その後、ナポレオンが通ったと言われるトスカーナの農道やオルチャ渓谷を車で立ち止まりながら進み、川の中にあるテルマエへ。この辺りは修道院が多く存在したらしく、コムーネとコムーネの間のこのような源泉で旅の疲れを癒していたのだろうか。そう考えると、日本も同じである。隣のコムーネ、モンテプルチアーノにあるフェリーニのお気に入りカフェCaffè Polizianoで一服し、帰路へ。夕日が綺麗である。ガソリンを入れたり、コインパーキングに駐車したり、街のルールに従って運転したり、農道で後続車に道を譲ったり、縦列駐車をしたり、それだけでぼくの心は積み上げられているような気がしているのだ。未来を恐れて何もしないのは、生きている価値がないのではないか。車を借りる前には、心の中で「運転なんてしなくてもこのソヴィチッレ、ローシアで集中して頭をクリアにする時間を過ごせばいい」と思っていた。しかし、その思考の30%くらいはある種ネガティブに「(いろいろわからないことも多いな。)運転なんてしなくてもこのソヴィチッレ、ローシアで集中して頭をクリアにする時間を過ごせばいい」と考えていたところもあり、車を借りることによって生まれるだろう不安をかき消すように自分に言い聞かせていたのだ。しかし、そのネガティブな思考と不安は、ぼくの生きる価値を削り落とすものとしてぼくたちの日々の生活に身を忍ばせ存在しているのだ。やらなければいけない、そしてあとはやるだけだという時には、そのネガティブな思考や不安やぼくの日々の生活からするすると抜け落ちていく。まさにそれは、鍼灸院に行って、詰まっていた血液がギュルッと流れる時に感じるような感覚にとても似ている。ぼくは、日々無茶苦茶を言う聖子ちゃんというお灸のようなギュルギュルと流れの悪い詰まっていた血液を流してくれる存在がいることに感謝しないといけないと思う。