2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.20

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2024.1.20

数日前にシエナに来た時にレンタカー屋に立ち寄り、レンタル規約について確認していた。銀行に紐ついたカードであればデビッドカードでも良いとのことで、シエナのMaggioreでレンタカーをすることにし、その夜にオンラインで予約をしていた。今日から、火曜日まで4日間レンタルすることにした。ソヴィチッレのローシアに1週間もいるのはあまりにも贅沢な機会を無駄にしているような気がしてしまったからだ。一日旅行に出かけるわけではなくても、片道1時間程度のところに行きたいところはたくさんあるのだ。先日話を教えてくれたのと同じ受付の女性が今日も一人で、AVISとEUROPCARとMaggioreの3つのカウンターを一人で担当している。彼女は、この前の君ねという顔を全く見せずに土曜日の仕事への不満を顔に浮かべながら不機嫌そうに書類とペンをカウンター越しにぼくに手渡しし、「書き込んで、サインしてください、国際免許書とクレジットカードはありますか?」と。せっせと書類に目を通し、書き込む。イタリア語の書類にサインするのは躊躇したが、保険のところだけ数字を追って、確認してサインをした。書類を渡し、カウンターにあったカレンダーを見ると、5月がイタリア語でMaggioというようだった。「Maggioreは5月の人々って意味じゃない?私の生まれ月だから、私たちついてるかも」と聖子ちゃんは言っていた。あとで、Maggioreの意味を調べてみたら「より大きく」とか「より優れた」などを表す言葉だったので、彼女にはそれを伝えなかった。まだ不機嫌そうな受付の女性に鍵を渡され、「隣の駐車場にJeepがあるから、それに乗ってください。安全運転でね。」それ以上は何もなかった。Jeep?聞き間違いかなと思いながら、駐車場に行くと、旧型のFIAT pandaが1台と、FIAT panda crossが1台、それから隣に浮いたように大きな白いピカピカのJeepが1台停車していた。預かった鍵は確かにJeepのロゴがしっかりと入っている。それでもまだ信じられないので、とりあえずその3台の車の前に立ち、鍵のボタンを押し解錠してみたら、ピカピカと光った白い大きいのがライトを点滅させた。やはりぼくたちの借りる車はJeepなのである。ぼくは、FIAT Pandaもしくはそれ同等の小型車、マニュアルトランスミッションの車の最安値のクラスで予約していた。実際には5人乗りのJeep、オートマチック、ナビ付きであった。傷もなくピカピカである。こんな大きい車でトスカーナの村を移動するのは無理だと思い、受付に行き、「FIATじゃないの?」と言ってみたが、不機嫌そうな顔をニヤリとさせながら「あなたのはJeepです、オートマチックでナビ付きですよ。他は予約いっぱいなの」と。これが嫌味なのか親切なのかわからないまま、モヤモヤした気持ちを抱えながら、出発。本来喜ぶべきだろう、ヨーロッパでオートマチックを借りるのはとても高いのだ、ナビだってついていないことが多い。それに加えて、イタリア人は嫌味な人はいないので、きっとこれは彼女なりの親切なのだろう。しかし、ぼくは、FIAT Pandaをイタリアで運転することを楽しみにしていたのだ。ぼくが18歳の時に免許を取って初めて運転した車は母親のライムカラーのFIAT Pandaだった。だから、ぼくはその車をこのイタリアで運転することを自分の美しい物語の新しい章に書き加えたいとそう抱いていたし、そうあるべきだった。しかし、この国でぼくが初めて運転するのは真っ白のピカピカのJeepとなったのだ。決まったことは仕方ないので、左ハンドル、右車線に慣れず、さらにJeepのサイズ感にも慣れず、ふがふがと奮闘しながら、なんとかシエナからサンジミニャーノへ。サンジミニャーノは、塔が乱立していることで有名な街で、裕福だったことを想像できる。この街自体が、高台にあるせいか、ものすごく風が強く、凍えてしまいそうだった。それから、街がキレイすぎて、「サンジミニャーノは、東京ディズニーランドのようです〜」などと書いてあったブログを読んだことを思い出した。あながち間違いではない表現だなと思った。ぼくたちは、作られた形であれ、西洋の城を無意識のうちに知ってしまったのである。それは、ディズニーランドであったり、アニメであったり、くだらないゲームであったり、そこから無意識のうちに色々な情報を知っているのだ。だから、本物を対峙した時に不思議と自分の原風景のように記憶にへばりついてしまっているそれらを思い出してしまうし、それが本物なのか、もしくはあの作り上げられたハリボテの建物なのかの区別がつかなくなっているのである。もしかすると、ただぼくには本物を見る目がぼくにはないのかもしれない。途中、立ち寄ったGalleria Continuaのグループ展にルイージ・ギッリの作品があった。さらにアルベルト・ブッリのペインティングもあり、観たいと思っていた作品をラッキーな形で見ることができた。気分が上がったので、ギャラリストの女の子と話し込む。その後、その女の子のおすすめのカフェでエスプレッソを飲み、カトリック教会Chiesa di Sant'Agostinoへ。ここがこれまでイタリアで見てきた教会の中で最も美しく、形容し難い雰囲気を纏っていた。内部に点在するフレスコ画とその香り、それから建物に差し込む光の色と角度が相まって、昼下がりの空気を張り詰めたものへと変えていた。それが決して差し込むような鋭いものではなく、張り詰めながらもまとわりつくようなどこかスモーキな触感を持っていた。教会の外には日時計があり、針の影は15時過ぎを指している。太陽の動く方向と、建物のあるべき場所と向き、形が見事なまでに計算され尽くされており、それが内部の色を作っているのである。そのような「きちんと建てられた」建物の中で日々行われる礼拝。ちなみにその教会の敷地内にアニッシュ・カプーアのパブリックアートがあり、それにもまたやられる。それを探し出すのに30分以上教会をぐるぐるとした。誰に聞いても場所を知らなかった。ぼくと聖子ちゃんはこのような街遊びが好きなのである。いつだって、誰もが探さない見つけたときに大した喜びのないようなものを探している。いや、このアニッシュ・カプーアの作品はサンジミニャーノに行った際は必見です。
イタリアにきて10日が経った。これまでの総括としては、イタリアでぼくたちが何かクリエイションができるのだろうか、その自信があるのだろうか、これほどまでの歴史と強度とスタイルとを保持し、さらに人間の生の本質を兼ね備えた野蛮な人や街に対峙して自分のクリエイションを自信を持って発表できるだろうか。はっきり言ってぼくにはまだできそうにない、それがぼくの10日間の総括である。アングロサクソン文明を享受し、勝手に分かった気になって自分のこれまでのあれこれに自信を持っていたが、はっきり言ってぼくはこの知性とスタイルと人間らしい振る舞いをもったそれでも野生みを失わない人たちの前にはちっぽけな存在でしかないのである。1900年に統合されたイタリアを一括りにしてはいけないとある人が書いていたが、この土地にあるものは偉大だ。