2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.17

Translate

2024.1.17

雨模様だが、毎週開催されているトスカーナ州で一番大きいマーケットへ行くためにシエナへ出る。シエナは中世には金融業で栄え、13、14世紀にはフィレンツェとトスカーナ地方の覇権を争うほどに栄えていた都市国家だったそうだ。ここもまた世界遺産に登録されている街だけに、歩いているとにやけてしまうような気分になる。道が狭く、坂も多いので、建物が高いこともあり迫ってくるような印象を受ける。雨なので、雨らしい美しさを纏っていた。18時くらいにソヴィチッレのローシアへ戻る。イタリアの街について表記するときにとても難しいなと思うのが、日本同様に州と県があり、さらに街名や村名と続く。イタリアと一括りにするのが難しいほど文化も違う。

夜、オランダの新居の大家さんから諸々の連絡があり、オランダの住居とビザ関係のことで心配になった。心配が溢れ出して、このトスカーナの田舎でぼくは一体何をしているのだろうと思った。突然、この村で過ごしていることが大きな罪悪感のように体に重くのしかかる。ビザの連絡待ち、家の入居待ち、そのため何もできずぼくたちは仕事になるようなネタ集めと、自分たちに新しい喜びと刺激を注入するためにここに来ている。実際、このタイミングじゃないとトスカーナにこれほど長く来るということに気が向かなかったかもしれない。夏に来ていたらまた違った表情があるだろうとも常に思うが、夏に来る人は同時に冬はどんな風景なのだろうかと思うはずである。心配しても状況が変わるわけもなく、とにかく、状況をきちんと整理して、確認をして何かが起きた時にどんな風に対処するのが最善なのかをきちんと把握しておくこと、それだけに尽きる。大家さんからも特に何かを求められているわけでもなく、ぼくたちに嫌なことをしているわけでもない、単純に確認したいということなのだ。人間は、確認されると不安になる生き物でもある、少なくともぼくはそうだ。

この村に誰も頼まれずに来て、勝手に写真を撮って過ごしているが、誰にも頼まれなくとも自分が自分自身の喜びや、自分自身が必要とすることをしたいと思うし、それが同時に誰かにとって日々の生活の糧や刺激や楽しみになることを祈りながら誰にも頼まれていないこのワークを続けるしかない。

それがぼくが今継続しているシリーズ『A song from the laundry room』のテーマでもある。本人の喜びは、ある人にとって救いの手となる時がある。家政婦が洗濯室で鼻歌を歌う、それは自分自身のための歌だ。しかし、その歌は、壁を挟んた隣の部屋で椅子に座っている憂鬱な午後を過ごしていた家主の救いの手となっていた。そして、家主は「その歌はなんの歌なんだい?」と聞く。家政婦は「自分で作った歌です」と言った。

ぼくは、自分のワークの向こうに具体的な誰かがいること、それからその先にさらにこれを待ってくれている見知らぬ誰かがいることを信じながら続けたい。文章を書くという行為がメディテーションのようになってきている。