2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.16

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2024.1.16

今日は、移動日。フィレンツェからトスカーナ州シエーナ県のコムーネ、ソヴィチッレのローシアという村へ移動、そこで1週間滞在することにしている。場所はどこでもよかったのだが、少し落ち着いてトスカーナの田舎に生活してみたいと思ったのだ。
朝7時に起床し、誰もいないフィレンツェの街を聖子ちゃんと散歩。日曜日や月曜日は、それほど人通りがなかったのだが、火曜日は朝から人々が動き出している。散歩から帰り、ドゥオモやジョットのベルタワー、フィレンツェ市街を一望できる絶景のテラスで朝食。今日はあまり寒くないようだ。11時にチェックアウトをして、予約していたTrattoria Da Burdeでランチ。名店だった。イタリアのレストランの何が楽しいかというと、食べることやプレゼンテーション以上に来ているお客さんたちの振る舞いを見るのがとても楽しい。何をどうやって頼んでいるか、待っている間の仕草や、どんな早さでパスタを口に運ぶのかなど、みんなレストランでの振る舞いが板についている。自信と信頼の相互関係があるお店はいいという話を聖子ちゃんとする。有名店でも、料理が美味しいお店でも、人気店でも、人々の迷いが空気の中をふわふわと彷徨っているお店がある。人々の迷いの原因は、例えばそこがフィレンツェにあるトラットリアだったとする。メニューのセコンディ、いわゆるメイン料理に、フィレンツェの名物料理ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナがあり、ランプレドットがあり、さらにコトレッタ・ミラネーゼまでがあったとする。メニューに選択肢も多く、海外からの観光客もとても多い場合、そうぼくたちのようなお客さんが多いということだ。そうなると、みんなあれこれと悩みだし、その空気がお店に充満しているのだ。ものすごく忙しいし、いいサービスをしてくれるのだが、なんとなくふわふわした空気を感じることになる。実際に、フィレンツェにもそのようなお店はあった。なんとなくこちらも落ち着かず、どれだけ美味しく人気店でも観光客が多いとその雰囲気が強くなる。ぼくたち観光客が何ができるのか、どうすればいいのかはわからないが、こう食べたいという自分の注文への自信とお店の信頼との相互関係がうまく成り立てば素晴らしくソリッドな空気になると思っている。だから、ぼくは日本ではメニューが少ないお店に行くのが好きだったし、その店に行っても同じものばかりを注文する。ぼくの空気をそのソリッドな空間にふわふわさせたくなかったのかもしれない。そう考えると自分のお店選びには一貫性があったなと思うと同時に自分の決断力のなさが、ぼく自身をお店の中に充満するふわふわした空気嫌いにさせ、こんなことを考えるきっかけになっているのだろう。
そこから歩いて、空港の近くのレンタカー待合場所へ。予約をしていたので、受付へ行き、「チャオ、ボンジョルノ、ジュンです、1週間予約しています」と伝え、国際免許証と日本の免許証、それからパスポートをみせる。問題なく手続きをすませ、最後に「デポジットをクレジットカードでお願いします」と愛想のない金色のピアスをした金髪のイタリア人女性に言われた。財布からカードを渡すが、「これはデビットカードですね、クレジットカードありますか?」と言われる。失念していた、ぼくがヨーロッパに来てからずっと使っているのは、こちらのデビッドカードのみだった。それもオランダではあまりにもクレジットカードが使えないので、デビッドカードしか持っていなかった。他のカードは全てApple payに連動させており、「Apple Payならクレジットカードがあるんですけど、だめですか」と言ってみたがもちろんうまく行くわけもない。クレジットカードがないので、予約していたレンタカーが借りられず、そこの同じ建物にあった違うレンタカー会社にも「クレジットでないと難しいですね」と言われ、さらに4つほど立て続けに事情を説明してみるも「残念ですが、クレジットカードがないなら貸せません」と続け、さらに最後に当たったレンタカー会社には「デビッドカードなら300ユーロです」と予算の3倍の金額を提示され、途方に暮れる。さらにレンタカーを予約した際に、保険も別で予約をしていて、そのキャンセル手続きもしないといけなかった。予約したサイトに電話したところ、その保険は他のレンタカー会社にも適応するらしく、「保険のキャンセルはできませんので、その会社が貸してくれないのであれば、他の会社から車を借りてください」と言われる。もうすでに断られている、安いレンタカー会社を利用するとここまで袋小路に入るのかと思った。とにかく、そこから脱出して今日の宿へ向かう方法を考えるしかなかった。時刻はもうすでに16時を過ぎていて、太陽の位置は低くなり、皮肉なまでにイタリア中部の暖かい夕焼けが顔を見せ始めている。その車を借りるか、もしくはバスや電車でシエナまで行くかを考える。ソヴィチッレのローシアへはシエナまでバスで行き、シエナでバスでソヴィチッレのローシア行きへ乗り換えるしかないようだった。調べると本数はかなり少なく、終電も迫っているようだったので、とにかく明日以降の予定とか、現地での移動とかあまり難しいことを考えずにバスで行くことを決める。調べるとgoogle map上ではハイウェイ入り口にバス乗り場が近くにあったので、猛ダッシュするもバス乗り場は実際には存在せず、バスはもちろん来ない。さらに空港まで歩く。空港まで歩いたのは人生でも初めての経験。インフォメーションセンターに座っていた90年代に世界中をバックパックで旅行していましたというような風貌の女性に話を聞くと、「Stazione di Santa Maria Novellaへ一度出て、そこからシエナ行きのバスに乗り換えてください。シエナも素敵な街ですが、でもフィレンツェの街は美しくて食事も美味しいので、フィレンツェの街に滞在するのもおすすめですよ、まずはStazione di Santa Maria Novellaですね」と飛行機で到着したばかりの客に話すかのように答えてくれた。ぼくたちの今日のひどい行動をインフォメーションの女性に言いたかったが、時間の無駄な気がしたし、彼女なら「旅にはトラブルがつきものです、それもいつか笑い話になるのよ」とか言いかねないなと思い諦めた。Stazione di Santa Maria Novella行きのトラムまでにはまだ時間があったので、空港のバールでエスプレッソを1杯ずつ注文。至福の5分を過ごす。Stazione di Santa Maria Novellaで最終バスに乗り、シエナからさらに最終バスでソヴィチッレのローシアへ。シエナは中世の姿が残る要塞に囲まれた都市なので、ぼくたちがバスで降ろされた場所は石の壁しか見えないようなバス停だった。それも降りたのはぼくたち二人で、次のバスを待っている人もいない。このバス停は始発でもなさそうだし、駅前のバス乗り場のような違うバスが来て、停留しているようなところでもないので、人の気配もない。はっきり言ってシエナは、夜に大雨の中大荷物を抱えて到着するにはあまりにも心細い街である。トラブル続きで心に疲れが入っていきそうな時に石の要塞の街は重苦しかった。本当にバスが来るのかもわからないし、バスチケットもどうやって買えばいいのかわからない。フィレンツェからのバスもくねくねとした道を来たからか、車酔いしている。ぼくたちは、旅先でのトラブル経験は多いと思っていたが、なかなか激しい午後を過ごした。久しぶりに困った状況を乗り越え、無事に1週間の滞在場所に到着。街灯もほとんどなくまだ21時前だというのにものすごく暗い。車で来るなら、ここに立ち寄って食材を買い込んで、などと色々考えていたが、そんなこともできないままに宿に到着した。ここからの1週間車がないので、この村で何ができるのか、ちょっとまずい村に来てしまったのかなという気持ちを抱えて、早めに眠る。