一昨日、ぼくは「安宿だから期待してはいけないという考え方がつまらないなと思う」と書いたが、やっぱり自分のその考えは間違えていないんじゃないかと思えるような出来事に今日行ったPasticceria Nencioniで出会った。安いから決して悪いわけではないし、安いから良いわけでもない。もちろんものの価値をコーヒーと宿を比較対象にして比べるのもおかしな話だなと思うのだが、Pasticceria Nencioni€1のエスプレッソに€0.8のピッコロビニエ、それでも気持ちいい姿がある。下の前歯が一本抜けた笑顔のかわいい50代後半くらいのお母さんと、同じく同じ下の歯の抜けた20代前半の娘。働き者のお父さんと、丁寧に手入れされた黒髪の女性の4人がカウンターに入っていた。そこで働く人たちは、ぼくを気持ち良くしようとしているわけではないだろうが、彼らのサービスは、夏のシドニーの青空くらい曇りなく爽快で晴れ晴れとして気持ちいい。一昨日の安宿理論でいうと、「€1のエスプレッソはサービスがない、€3のエスプレッソなら笑顔で気持ちいいサービスがある」ということになると思うが、そんな簡単なものではない。ここにきて、改めて感じ始めているのは場所やお店のことをどうこうと考えることよりも、こちらの心構えが大切なのかもしれないと思った。それは、例えぼくが観光客だとしても、その場所への気持ちや思い入れがあるかどうかでその場所やお店の態度も変化するということである。気持ちや思い入れがある人々が集う場所というのは常に美しい。愛される場所は、愛される理由が場所側にあるのだが、同時にその場所を愛そうと思うたくさんのお客さんによって成り立っている。彼らは、もともとものを愛す人たちなのか、もしくはその場所に惚れて愛することにしたのか、その理由は千差万別だろうが、愛される場所を作るには愛という心構えを持つことが大切である。Pasticceria Nencioniを含め、お店はお菓子作りお客さんに食べてもらうことを喜びをしていると察することができるし、ぼくたちに何か身のあることを伝授してくれるわけではないが、こちらが勝手に色々なことを学んでいる。お金のために仕事をしている人たちの仕事を見るとかなり心が辛い、自分を含めて多くの人たちがお金や生活のために仕事をしているので、その言い方が正しいかわからないが、お金のための仕事、心のない仕事というべきか。心の無い振る舞いということもできるだろう。そうなると多くの観光客に見られる心無い態度の話とも少し繋がる。