数日前に、オランダの郵便物はPOST NLによるものでもdpdによるものでも、配達の前日に「14時10分から14時20分に到着します、家にいない場合は、こちらから時間指定の依頼をしてください」といったようにメールで事前に細かい時間のお知らせが届くとそんな話をここでしたが、歯医者や病院などの予約も例に漏れず、予約をした時点でメールにてコンファームが届く。さらに郵便物と同じく前日にもまたリマインドで「明日の11時45分に来てくださいね、初めてだったら15分早く来てカルテを書いてください」と電話がかかってくる。メールまではこの国の人は親切だなと感じられるが、オランダ国民の物言いはストレートなので前日の電話は脅迫のようでもある。合理性が親切を纏っているようなと思うようなメールと電話なのである。朝、ステラの散歩から帰ると聖子ちゃんが「歯医者の予約、明日に変更になったよ、先生が病気になったから明日の18時にしてほしいってメール来た」と。前日に電話までしてきて、結局メールにてキャンセルの連絡、さらに結局病院の都合の良い時間に変更される。合理的親切が生む弊害がここにもある。オランダに来てから聖子ちゃんはことあるごとに「合理主義者は、Lazyだ」と言いまくっているが、その言葉もあながち間違えではないなとなんとなく納得してきた。めんどくさがりだから合理性に走るのではないかという見解。いつかもう少し検証してみたいと思う。
ちなみに、INDオフィス(移民局)の予約なんかは「11時18分から11時27分で予約をお取り致しました」といったメールが届く。予約時間が1分刻みというのは、訪問者にはまあまあ厳しいと思うが、国籍の違いやさまざまな文化背景をもつ移民たちを一つのオフィスで対応するとなると、そうせざる得ないのだろうか。実際にどれだけの人が守れるのだろうかは想像に苦しむが、みんなINDオフィスに出向かないと滞在の申請ができないので時間厳守で行くのだろうが、この時間厳守がどのくらい厳密なのかだろうとも思う。ぼくの予想では、数分の遅れは許されるのだろうと思っているが、遅れる遅れないという議論以上に、予約時間を刻む事によって人々が時間にシビアになること、遅刻予防線を張っているのではないかと思うのだ。厳しくすることで、訪問者に緊張感を与え、アドバンスで行動する。日常的に15分前行動をしている川久保社長には1分刻みなんてものは緊張感を与えるものにはならないだろうが。この1分刻みの時間指定がシステムによって決められ、自動送信されていることは明らかであるが、訪問者はさておき、それ以上に働く事務員たちはその1分刻みの終了時間を守ることができるのだろうかとつくづく思う。さらに言えば、合理性を求めた自動で配達時間を決めるシステム、INDオフィスの事務員は待っていれば次から次へと人が来るが、郵便配達員には10分間刻みの時間指定はきついだろうな。急ぐことも遅れることもできない。豆腐の水を切るように強めの板挟みがぼくの注文した本が2週間遅れで届いたことに関係しているのだろう。配達が間に合わなかったから、システム上で配達完了にしておけ!という配達員もいるのだろう。時間に間に合わずに届けて直接文句を言われるくらいなら、配達完了にしてメールでクレーム対応の部署がクレール対応してくれればいいと思う配達員がいそうなことも想像できる。生真面目すぎる配達員はその道を選ぶ。まさにそれは重すぎたら潰れてしまう豆腐のようである。
昔、高校生の頃に友人に誘われチラシ配りの仕事をしたが、配り終わったらその日は終わりというもので、見込みの終了時間が18時だったが、さらにもう一人ずつ友人を誘い4人で配ったら驚くくらい早く配り終わって、その後カフェに行った記憶がある。現在のオランダのシステムだとそんなふうな仕事の仕方もできないのだろう。そもそもチラシ配りなんて非合理的なことはしないだろうが。合理的な環境を作ったりやシステムを組むことも大切だが、それ以上にそこで仕事をする人が合理性を考えて仕事できる環境を与えることも大切なのではないだろうか。