2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.6

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2024.1.6

今日は、745分に起床。念願の7時台に起きれた。「!」をつけたいほどに嬉しくはあるが、やめておく。これは、ジャーナルである。すでに私的感情と思考だけで文章を書いているのだから。昨晩も27時まで寝れなかったので、無理にでも起きてよかった。最近、眠れないのだ。眠いのだが、布団に入るのが怖い。布団に入ると1日が終わってしまうようで、生産性のない日が本当に生産をせずに終えて本当に生産性のない日として烙印を押されてしまっていいのかという気分になる。ただ、シャワーを浴びた後に、その時間が始まると、その思考から抜け出せず何かをすることもできない。まあ、そんなわけだが、今日は早くはないが暗いうちに起きた。暗いうちに起きただけでも達成感がある。それくらいぼくは生産性のない日々を過ごしているのである。生産しているかしていないかは問題ではなく、生産性があったか生産性がなかったどう感じたかが問題でもある。生産性があったと思っていると実際に生産性がなかったとしても心は豊かになっていくだろう。一方で、ものすごく生産性があったとしても生産性がなかったなと感じているとそれはあまり良い状態とは言えない。ぼくは、後者に当てはまる日も過ごしているのは自覚している。
まだ街が目覚める前からステラの散歩へ。お金の心配をしていても腹は減るし、エスプレッソは飲みたくなるし、不安で落ち込んでいてもこの時期にはガレット・デ・ロワが食べたくなるのだ。オープン前のlevain et le vinで「ガレット・デ・ロワ販売ある?」と散歩の途中で聞いたら、「あるよ!」とのことだったので、後で来る事にする。家に帰り、日記を書いて、事務作業を終わらせ、ランチでも食べようと思い、冷蔵庫を開くと、何もないので、トーストを食べる。お金の心配をしていても腹は減るし、エスプレッソは飲みたくなるし、不安で落ち込んでいてもこの時期にはガレット・デ・ロワが食べたくなったとしても、お金がなければ冷蔵庫は空っぽになっているのだ。まあ今日は土曜日なので、うまく食材を使っているともいえるよなと少しくらいポジティブに自分に言い聞かせ、Noordermarktへいく。今日ももちろん15時を目掛けていくが、また出店していなかった。あれが、最後のマーケット出店だったのだろうか、だから閉店セールと謳って半額にしていたのかもしれないと日本人のぼくには思えてくる。先週と同じお店でマンダリンと、マッシュルーム2種類、ブラッセルスプラウトの花を購入。近くのマーケットでトラウトサーモン、サーモンの頭を購入。ヘリングを一匹ずつ食べる。De Aanzetでオメガ3の話を散々聞かされたので、魚を食べた方がいいなと思い、オランダの今遠くに行ってしまった海を思い浮かべながらヘリングを口にする。Fromagerie Abraham Kefに立ち寄る。先週の女性は、ぼくらのことを覚えていて、あのチーズどうだったと自信満々に話しかけてくる。やはり、自信があることが何よりの強みだろう、自信を持てることをするというのは人にとって、いや国家にとっても大切だなと思う。それにしてもこの女性、きっとぼくらよりまだ若いのにもうすでに面倒見のいいおばちゃんになる風格が漂っている。夜は、ひたすらフィレンツェについてのリサーチ。これは旅行ではない、居場所が無いぼくのジョルジョ・モランディとルイージ・ギッリと村上春樹の足跡をたどる新作作りの旅なのである。新作、楽しみにしてください。