2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.1.2

Translate

2024.1.2

昨日、元日なので鯛を焼こうとすると聖子ちゃんと鯛の焼き方の見解の相違で言い合いになる。数日前、大人になると自分が子供の頃に観たり、触れていたものが自分の基礎となっていることについてここで書いたが、言い合いをしながら、クリスマスや正月の過ごし方もそれに当てはまると思った。正月の過ごし方なんてものは代々脈々と家族の中だけで引き継がれていて、メディアや隣人たちによる影響はあるものの、人々は各々に自分の家族の正月の過ごし方に喜びやプラウドを持っているように感じている。幼少期、自分が経験したものが今でもほとんど変化せずに毎年同じように続けられているわけなのだ。特にぼくは、小学6年生の受験勉強時と海外に住んでいるとき以外は友人に誘われようが、東京で1月2日から仕事があろうが、おばあちゃんの家に帰って正月を過ごしていた。それくらい正月に割と執着しているわけである。ぼくにとっては、今の現状だとおせち料理が作れないのであれば、鯛の塩焼きくらいはしたいと思うのが当然だし、むしろみんな正月には鯛の塩焼きを食べたいと思っていると無意識に思っていた。突然、鯛のお腹の中にトマトを入れると言われても受け入れられないのである。しかし、他人の意見を受け入れて柔軟に生きていくという道も必ず存在する。柔軟ではないことを頑固というのかもしれないが、頑固とは、それはイングランド・ヨークシャに住んでいるのに、宇治の抹茶をずっと飲み続けている人のようなものか。その場所に行けばその場所なりの喜びの味わい方がある。一方で、本人なりの喜びの感じ方も同時に存在する。
正月に石川でかなり大きめの地震があったらしい。ぼくの作品を買ってくれている人の中には石川、富山の方々はまあまあいるので、ぼくにとってもなんとなく気に掛かる街である。映像や写真は見ていないが、被害が大きくならないことを願うし、今のぼくには微力ながらも声をかけ、ぼくが日々続けていることをやるしかないのである。たとえそれが被災地にいる彼らに直接のサポートにならないとしても、気持ちを逃す場所だったり、息抜きになればいいし、あわよくば生活の糧になればいいと思う。さらに、羽田でJALの機体が燃えたらしい。幸い乗客の全員が無事だったそうだ。
Uncommonのテラスでカフェをした。今日は、あまり寒くなかった。いや寒さに慣れてきたのか、晴れていたから気持ち的に寒さをあまり感じなかったのか。