2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.12.4

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2023.12.4

朝、家の近くのVondel Parkでステラの散歩。一時間以上トレーニング。ここの公園内では95%以上の犬がリードをしていない。時々、一匹で門をくぐって帰っていくような姿や、道に迷ったように路上に立っている犬も見かけるがそれでも飼い主を見つけてすぐに戻っていく。もちろんステラは現状リードを外すことができそうにないので、今は心を鬼にしてトレーニングをしている。少しずつだけれど、成長している。飼い主も飼い犬もお互いにあんな風にありたいと思っているのだろう。いつかみんなのように自転車で走っているのについてきたり、ランニングを一緒にしたり、ほっておいても散歩できるくらいになりたい。
昼は、またサワードーに目玉焼きを乗せて食べる。夕方まで家でリサーチ、それから家探しなどの移住に関する事務作業をする。こうやって散々物事がうまくいかないと、やっぱりこれまでの自信とかそういうものの価値ってなんだろうかと思わされてしまう。自信を持つことも大事だが、それ以上にそもそもぼくは路上で寝ていたゴロつきなんだ。11年前のこの時期には、オーストラリアのバイロンベイでお金も家もなくて野宿していた。バス停で朝起きたら寝ている間にバンズのスニーカーを片足盗まれた。そのまま仕方なくビーチに行って時間を過ごし、そのまま夜になったので、ビーチで寝ていた。なんだか明るいので目を覚ますと星が見えているのに雷が鳴り、稲光が海に落ちるのを100度くらいは観た。そのまま寝て、起きたら目の前で全裸の男女が踊り狂っていたのである。あれは、2012年12月21日で、その日はマヤ文明で使用されていた暦が、その日に終焉を迎えるという終末信仰のものだった。人々はまだ生きていると踊り狂っているのであった。
ぼくは、そもそもそんなみんなに蹴られるような石ころなのである。6年間銀座で働いて、少しおかしくなってしまったのかもしれない。アホなふりして、アホでいるべきなのだ。「同じアホなら踊らな損」なのかもしれない。背伸びして、身構えて、大きく見せて、斜に構えてイキっていることに何の価値があるのだろうか。恥ずるべきである。知らないことは知らないと言える人間になりましょう。