2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.10.10

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2023.10.10

今日は、朝からA table!の手伝い。お店で働くとどうしても掃除をしたくなりすぎるのとあれこれ言いたくなりすぎるので、はっきり言ってみんな迷惑していると思う。ぼくは、スポットで手伝っているだけで、そこにある日常を知らない。それは、10年くらい前に少し流行ったシティプランナーみたいだなと思った。外部からやってきた人があれこれと指示を出して、理想の形を作ろうとする。しかし、実際にはそこに住んでいる人の感情や超私的な歴史などは排除されて、形ばかりが完成していく。最初のうちはうまくいっているように見えるかもしれないが、結果うまくいかない。会社でもそうだ、現場にいない上司がああだこうだとルールを決めるものの、実際に身体を動かす労働者たちは、全く納得しない。それは、そこにある感情が存在しないからである。もちろん、変化すべき悪い癖や停滞した感情、私的な感情も存在する。それらには、上から勝手に決められた雷のように容赦のないルールは効果絶大である。
ぼくはそれを理解した上で手伝っている。だからああだこうだとたくさん言わない。ぼくは、自分のわがままを言いたいわけではなく、ぼく自身を犠牲にしてでもやるべきだと思うことをしたいといつも思っている。だから、意見をいうのだが、大体ぼくのわがままだと勘違いされている事が多い。もちろん人によって気になる部分や大事にする部分が様々なので、ぼくと価値観が違う人からするとぼくがわがままを言っているに過ぎないのだろう。問題意識が高すぎると聖子ちゃんに言われるのだが、自己を犠牲にしてでも解決するべき事があるし、いや、もっと大きな視点で見ると全て自分のものという感覚がある。それは魚座特有のものだそうだ。魚座は関係なく、ぼくはそういう風にのめり込む人間である。