2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.10.1

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2023.10.1

朝からパン屋Pancへ聖子ちゃんとステラと散歩。パンオショコラとカンパーニュを買う。14時ごろから撮影に自転車で奈良を徘徊。夕方、まほろばキッチンで野菜を買う。その後、ステラの散歩。途中大雨に打たれる。餅飯殿の商店街にくると、小学生に戻ったような気分になる。決して小学生の頃によく来ていたわけでもない。夜は、些細なことで聖子ちゃんと言い合いになるが、今回はぼくが悪いなと寝る前に思った。もちろん、言い方とか、議論にならないような返答をすることとか、付随して他のことでイライラすることは多いが、今回のきっかけになったことに関してはぼくに非がある。口論になったら理論なんて存在しないなと思った。熱が入った人に対して丁寧に説明なんて難しいのである。これは争いの中では型が通用しないということである。戦いの場になった時に教育が全く価値を持たないものになるが、戦いの場に至るまで、もしくは戦いの場を作らないためには教育が必要なのである。戦いに持っていかないのは教育でもある。ぼくは戦いの場に持っていかないことにとても興味を持っている。どこまでも耐えて、細かく繊細に考え、丁寧に紐解きながら、戦いに進まないことに憧れがあり、興味を持っている。もっともっと純粋に美しいもの、刺激的なもの、良いと心が踊ることだけを二人で共有していないと二人の関係は破綻してしまうのだ。人間関係というのはそんなことで保たれていることもある。それは時に辛かったりもするが、主観的に辛いことが客観的に見た時に世の中のためであったり、関係を維持するためであったり、長く見た時に自分のためであることはとても多い。