2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.9.29

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2023.9.29

朝から家の大掃除。昼は、パリワール村へ。しかし、満月の日ということでお昼の営業はお休みされていた。なので、実家のお客さんでもある学園前のChuanへ。サイさんに身体を触られ、「前にコロナになったでしょ。左肩が変ね」と言われる。さらに「水分が足りてない」「血も足りてない」と、体調が良くないと判断された。オランダ行くまでにきちんと整えましょうとスープに高麗人参を入れてくれた。ここのお店は身体を見て、カウンセリングして、その日の調子に合わせてスープを調合してくれるらしい。普段は、予約でほとんど席が埋まっているのだという。時には家庭の愚痴を聞き、スープを作っているのだという。愚痴も不健康だということか、それは面白いと思った。病院に行っても愚痴を聞いて薬を処方してくれないが、ここなら愚痴を聞いてそれでスープを作ってくれる。民間療法か。今日は、5品とスープを出してくれたが、一品ずつ紹介してくれる。そんな風に自分にむけて料理を作ってくれると、食事をする者としては一つ一つの料理への意識や食べることへ意識も向かうので、それが健康ということを軸にしているのかしていないのかは別として料理をしっかり食べてもらうという側面を見ても効果があるなと思った。自分のためだと思うとみんなじっくりと味わう。苦い薬でも飲める。辛い運動も我慢できる。「あなたは血が足りてないから美顔茶を飲んだ方がいいわ、お茶飲む?」と言われると「はい、飲みます」というだろう。それが押し売り商法だとはぼくは思わないが、人が必要としているものがそこにあるならばある程度お金に余裕があれば必要としているものを手に入れるのは当たり前である。ここが予約でいっぱいになるということは、みんないろいろな悩みや痛みを抱えながら日々生きているのかもしれないな。母にそのまま奈良のマンションまで送ってもらう。母に幹生の口癖が父に似てきたと言う話をしたが、あまりピンときていないようだった。やはり離れているから見えることもたくさんある。聖子ちゃんとステラと散歩する。猿沢池で中秋の名月の采女祭をしていたので少し観覧して、歩いて家まで帰る。このお祭りは、『大和物語』にある物語で、奈良時代に天皇の愛が薄れたことを嘆き池に身を投じた采女(うねめ)の霊を鎮め、同時に人々の幸せを祈る例祭として、中秋の名月に行われている。奈良時代から1300年くらいもこの物語が語り継がれ、この祭りが行われていることが面白い。どう見てもこんな狭い猿沢池で身を投じたところで自殺することができないと思ってしまうので、それを信じてこんなに人々が祭をしているのかと思うとまた笑ってしまうような気分である。それも、この話をみんながまた大真面目に話すのだ。歴史を語る人たちは面白い。昨日食べ損ねた気分になっていた肉うどんを食べる。やはり背中の痛みがまだ取れないので、早めにお風呂に浸かり寝る。