2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.9.28

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2023.9.28

連日、実家の手伝い。弟と一緒にいると、ずっと実家で働いている弟の口癖が父に似ているなと思った。おしゃべりが止まらない両親に比べるとぼくたち兄弟はあまり大きな声を出すタイプではないが、それでも弟の口癖が大きな声で独り言をいう父と一緒だったことに驚いた。声量は違えど、同じトーンで同じリズムで同じ言葉を発する、子は親に似るというが、それ以上に一緒に働いていると口癖は似ていくのだ。ぼくもDSMに在籍していた頃は、同僚や上司の口癖がうつっていたに違いない。そういう意味では言語習得というのは、話している人たちと一緒にいるのが一番だなと思う。弟を見ていると、実家で働いていると社会性が養われていくのか、もしくは社会性が失われていくのか、どちらなのだろうと考えてしまう。実家で働くことにより、取引先やお客さん、もしくは働いてくれているスタッフと実家という責任を持って関係性を作る必要があり、社会性が強く養われていくようであるが、同時に社長や上司にあたる両親に言いたいことを言って少しのわがままを許してもらっていると社会性という言葉からは大きく隔離されているような気もする。別に、社会性が必要かどうかはわからないが、何となくそんなことを今日は考えていた。家に帰ると商談帰りの両親が近くでもう食事を済ませてきたというので、何か簡単に家で作ってもよかったのだが幹生と家の近くの国境食堂という定食屋で親子丼を食べる。肉うどんにだけ星マークが書いてあり、かなり気になった。ああだこうだと話す。二人でいると良く話すが、家族の中ではぼくと弟はあまり話さないなと思う。オランダに行くまでにいろいろと整えないといけないと思っているので、実家の部屋の大掃除を始めてしまい眠れず日を大きく跨いで26時ごろ就寝。ものを捨てる時期が来たようだ。ものよりもスペースが欲しい。ものとものの間をもので埋めるような空間ではなく、ものとものの間を作るような空間やものの持ち方を実家でもできるのではと光が差し込んだ。実家にはものが多いので、多いものを多いなりに整理するしかないと思っていた。ものとものの間を作ることができるならそれはかなり良い。無地の白を無地の白のまま残す。