2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.9.25

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2023.9.25

朝から幹生と平城宮跡へ、ステラと実家の犬エルを連れていく。二匹とも楽しそうに走り回っていた。親から車を借りているので、聖子ちゃんと合流し、叔父の倉庫で荷物の入れ替えと整理。東京から帰った際に、ここに全ての荷物をぶち込んだので、今になってあれがない、これがないと探しているのである。大体のものはここにあって、ついでに「そういえばこれもあったね」という話になる。そうやって思い出されるものは、自分の生活には不要なものなのかもしれないなと思う。一方で、そのモノ自体を買ったりもらったり手に入れるプロセスには物語があり、そのものを見ると思い出したりもする。思い出のためだけに残されているようなものと、実用性を与えられた思い出を持つもの、どちらが必要かはあまり比較するべきではないが、つい比較したくなり、合理的に考えると後者が優先されてしまう。では、妹にもらった割れてしまった雲井窯は不要なのか、そんなわけはない。合理性だけを追い求めていいのか。感情的にならざるを得ない場合は多い。3Fに荷物を運び上げ、必要なものを取りに行く。もともと母方の実家は蚊帳と布団やをしていたので大きな倉庫がまだ残っており、現在は、1階と2階を叔父がアトリエとして利用している。3階は物置となっているので、今回一部を借りることにした。だいぶ整理しないといけないが、オランダ出発までに整理して今後もう少し活用できるようにしたいと思っている。個人的には、オランダに行ってからの未来のことを考えると3階の一部にCairo Apartmentのストックを置かせてもらえるといいなと思っている。あとは、ぼくの写真作品。ただのぼくの意見。その後、こちらに帰ってきてから会えていなかった父方のおばあちゃんの家へ。父の弟夫婦とおばあちゃんと聖子ちゃんの5人で手巻き寿司を食べる。おばあちゃんの家では、昔ジョンと言う名前のボクサーを買っていたこともあり、ステラもグルグルと走り回れる庭があるので、とても嬉しそうだ。ぼくは、ずっとボクサーの名前がジュンだと聞かされていたが、今日よくよく話を聞くと向かいのおうちでもボクサーを買っていたらしく、その名前がジュンなのだという。自分の名前が犬の名前から取られたのだとちょっと面白い話だなと思っていたので、少し残念ではあるが、正確な話がわかってよかった。やはり叔父夫婦も奈良の人なので、歴史や寺に詳しい。柳生街道を抜けたところ一刀石という上下に真っ二つに割れた巨大な石がある。昔、柳生石舟斎という刀の達人がいたらしく、天狗と刀の練習をしていたのだが、夜に天狗とこの石を間違えて一刀両断に断ち切ったと言われている。叔父が、大真面目に「あの岩は天狗との戦いの時に柳生石舟斎が切ったんや」と話していたが、はっきり言って客観的にその話を聞いたらアホである。母方の叔父からも全く同じ話を聞いた。その時も奈良の人は古い話を信じているんだなと思った。それが実話だったかどうかが重要なのではなく、その1000年以上も伝わる話を大真面目に語り継いでいるところが面白いし、また「天狗」などという実際に存在するはずのない怪物の物語を笑い話としてではなく、熱心に真面目に語る奈良の人たちを見ているとめちゃくちゃアホで面白いなと思う。