朝、ステラの散歩へ。8階に住んでいるのだが、マンションに住むのは初めてなので、外に出るまでが遠い。ステラも扉を出たらおしっこができると思っているのか、駆け足で階段を駆け下りる。コーヒーをいれて、イングリッシュマフィンに卵を挟む。9時から日記を書く。11時24分の桜井行きの電車で吉岡と待ち合わせをしていたので、家を急いで飛び出すが、間に合わず。言い訳は8階に慣れていない。JRの桜井線は1時間に一本しかなく、結局天理のかつ井へ行くのを諦め、みりあむでカレーを食べる。14時半ごろ家に帰って、1時間ほど昼寝をして夕方から写真を撮りに街を散策。自転車で散策していると行動範囲は広くなるが、細かいディテールが弱くなるような感覚がある。歩くときは歩くし、自転車で遠出する時は遠出をする。結局、若草山まで行って帰宅。入れ違いで、聖子ちゃんが京都へ行く。雷と大雨になり、ステラが驚いておしっこを大量に漏らしてしまった。昨日、カズくんと東大寺の二月堂まで散策している時に、せんとくんとご当地マスコットや自分の写真の撮り方と作品の作り方について話していた。くまモンや、うながっぱ、ひこにゃんなど、ご当地マスコットは名前の付け方がとても安直である。それが覚えやすい親しみがあるということで一つの狙いではあるが、奈良のご当地マスコットは「せんとくん」。カズくんに「せんと」の意味を説明していると、他のご当地マスコットに比べて「せんと」だけは難しすぎると言っていた。確かに、他は、うなぎとかっぱを組み合わせて「うながっぱ」とか彦根とねこで「ひこにゃん」とかなのに、奈良はせんとくんである。捻りが効いていて、歴史や文化を知らないと理解できない名前である。いや、歴史と文化を知らないと理解できないのではなく、名前から歴史を探る手掛かりになる名前である。昨日、唐招提寺に行った時にも、京都と奈良の寺の違いについて話していて、京都には、庭園文化などもあり、前情報や歴史的背景を知らずとも見るだけでも美しい寺が多く、一方奈良の寺は地味で歴史や文化的背景を知ることでしかなかなか楽しめないような寺が多い。そんなことを話していたので、カズくんからすると、ご当地マスコットの名前にまでも歴史的な要素を忍ばせるのが奈良なのかと思ったのだろう。そんなことを話した後に、自分の写真の撮り方やクライアントワークについて話していると、ぼくの写真の撮り方にもせんとくんの要素が伺えるという話になった。特にクライアントワークに関しては、なぜ用賀で撮影するのか、なぜ田園調布で撮影するのか、なぜ奈良で撮影するのか、なぜ丹下健三なのかなど、見る人がビジュアルだけを楽しむこともできるのだが、一方で、その背景を読み解くことで、ぼくが作ることの意味や撮影したのがぼくであった意味などを理解していくのである。ビジュアルだけが必要であれば、「ここに行って、こんな風に撮ってください」でいいのだが、それだと、「なぜぼくが撮る必要があったのか、なぜぼくがそこに行って撮る必要があったのか」を理解することができない。あくまでぼくの仕事の仕方は、クライアントに求められることをすることが前提ではあるが、ぼく自身としては、ぼくが写真を撮る意味やぼくに頼んでくれた理由などを少しでもそこに残したいのである。伏線を忍ばせるようなものを好み、それはある意味、奈良の寺やせんとくんに見られるような歴史や背景を知ることで違う楽しみ方ができるというものなのだと思った。奈良のエッセンスはぼくの考え方の根幹にしっかりと染みついているようである。