カズくんがうちに泊まっていたので、朝からバスで西ノ京にある唐招提寺へ。唐招提寺に行ったのは、多分小学生以来。世界遺産が当たり前にある街を車や自転車で生活していると、何かを感じるのだろうか。土地名が平城京やその後の人々の想いを中心に育まれた街だということを感じさせる。お昼は、みりあむでカレーを食べて、ならまちを歩く。古梅園に行ってショウケースじろじろと見ていると、女性のスタッフが出てきてくれて、奈良弁で墨や硯についてああだこうだと教えてくれる。奈良に来てからというもの、「わからないので、教えてください」ということが増えた。それは、ぼくがこの土地の新参者もしくはこの土地の短期滞在者というポディションを心のどこかで利用し無意識のうちに演じているからなのか、自分の親のルーツのある奈良という土地に住むことによって自分のルーツさえもを探求したいと思っているからなのか。本当に知りたいと思った時には、知らないふりをしなくなるのだろうか。それから、この土地の人は、「わからない」と言ったときにとても嬉しそうに親切に何でも教えてくれる。歴史と土地の関係から、あそこの木が素晴らしいとか、この土地に長く住んでいるから知っているような情報をたくさん持っている。心地よく嬉しそうに教えてくれると、また全然違うタイミングでも「わからないので、教えてください」と言いやすくなる気がする。奈良の人ではないが、生涯の多くの時間を京都で過ごした湯川秀樹は自分がわからないことがあれば「わかりません、教えてください」とよく尋ねていたそうだ。わからないといいながら、尋ねていると、古梅園の女性の話はどんどん盛り上がり、その中で、まさに昨日ここに書いたようなことを話していた。高い安い、良い悪いは用途によって様々で、決して高いから良い、安いから悪い、良い悪いはどんな風に使うかによるということ。荒い墨は、早く擦れるので、大量の墨が必要な時例えば大きな字を書いたり、絵を描いたりするときには重宝する。一方で、細かい墨は、紙や焼き物の細かい繊維の中まで浸透するので、奥行きがある山水画などにとてもむいているという。それから、いくつか高級な硯を触ったが、石に人肌のような暖かさを感じた。女性は、「赤ちゃんの肌のような硯は高級」と言っていた。硯も決してさらさらだけが全てではない、それに高級だけが全てではない、ちょっとガサっとしたものが墨と相性の良いものもある。用途が違うのだ、ということをはっきりと言っていてとても共感した。もう硯の石を掘るのをやめてしまった渓谷などもあり、その渓谷で取れた石はどんどん値上がりするのだという。墨と違って硯は一生ものなので高価だが、そのもの自体にそれだけの歴史と価値もあるのだという。古梅園の墨は、1577年の創業以来昔からの手法そのまま継承して今も作っていて、世界で一番長い歴史を持つ墨屋さんだという。ものを売るのだと特に古物は価値を持ち、どんどん値上がりするが、手法をうまく継承すれば、それらは常に人々の手の届く範囲に置いておくことができる。例えば、伊勢神宮のように20年に一度技術継承を目的とし立て直すということをしていると、神社が歴史的建造物としての価値だけではなく、民衆が利用できるものとしてそのまま受け継がれていく。一方で歴史的建造物を修復するという技術も継承される。もちろん、自然由来のものである場合に、有限な自然界に存在するもの、例えば硯などはいつか美術館で所蔵されるだけのものになってしまうかもしれない。しかし、墨は自然由来だとしても人間の知恵によって出来上がったものでもある。いや、硯も同時に人間の知恵でもある。結局何が言いたいかというと、ものを売るだけでは、それらは挙げ句の果てには高価になりすぎて、民衆の手に届かないものとなってしまう。すべてが美術館や本の中に収まってしまってはつまらなくて、それらがぼくたちの生活の中にあるということ、もしくは手に届くところにあるということが人生を興奮したものにするのではないかと、硯と墨を見ながら考えていた。簡単に手に入ってもつまらないということももちろんある。