2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.9.19

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2023.9.19

数日前に露出計を買った。さらに、その数日後に自転車にiPhoneを取り付けるホルダーを買った。今まで「何となく必要だろうな、あったら快適だろうな、でもここのブランドのものでいいのだろうか、他にもっと良いものがあるのではないか、だけどそもそも本当に必要なものなのだろうか」と考えていたものがあり、まさに露出計と自転車iPhoneホルダーだった。関西に帰ってきたことで少し気持ちにも余裕が生まれたのか、つい勢いよく買ってしまい、その結果ちょっとした買い物が自分の生活を少し快適にすることを実感している。写真を撮るのも楽しいし、さらに自転車もスイスイ快適に走れている。iPhoneをポッケから取り出し、google mapを見ながらの運転はなかなかストレスのあるものだったのだと実感している。ぼくは、ちょっとしたことで快適になるというものを手に入れない傾向があり、常に苦しんでいると聖子ちゃんに言われる。それは、買うことをただ渋っているということだけではなく、渋る背景には、本当にそれが自分のためになるのか、本質的か、カッコいい姿なのか、ものをもたずに思考と感覚と身体だけを頼りに生きていけることが最高だとかを考えてしまうからなのだ。例えば、露出計、昔の写真家のようにこれくらいの明るさであれば大体このくらいのシャッタスピードで、絞りはこのくらいでというのが頭や感覚で判断できるということに憧れているし、自転車のiPhoneホルダーも道を記憶していてiPhoneをポッケから取り出しgoogle mapを起動せずに自転車を漕げることを理想としている、そんなことが買うことを渋る、ためらいの理由だったと考えられる。「渋る」ではない、「ためらい」の方がぼくの感覚には近い。買うことや持つこと、使うことを否定するわけではなく、それが自分のスタイルかどうかということである。安い高いではない、ものの価値や良い悪いはその人次第なのである。こういう風に快適なものを拒否するような生活を続けていると自分自身を精神的に苦しめることになると思う。こうやって書いていると、自分はミニマリストではないものの、ものをもたずに思考と感覚と身体だけを頼りに生きていきたいと思っていて、その上で人生というものがぼく自身に与えてくれるいろいろな喜びや苦難を思慮深く大切に受け取りことができるか、それがぼくの人生の最大のテーマなのだろう。夜、カズくんが奈良の家に泊まりに来る。東京から夜行バスで駆けつけてくれた。彼も10月半ばにシドニーに帰るのだという。せっかく仲良くなったのに、次に会うのがいつになるのかと思うと別れは少し寂しいものである。ああだこうだと何でもない話をして、12時半くらいに就寝。