2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.9.14

Translate

2023.9.14

午前中は、継続しているDSMの仕事をする。結局、毎日2-3時間ずつくらいやっている。父が車の点検中だということで家に来る。朝食を持ってきてくれた。特にトピックというトピックはないがあれこれ話す。ついでに叔父のアトリエに一時的に保管している荷物を運ぶのを手伝ってもらう。これでコーヒーマシンやコーヒー用のカップ、ケトル、椅子、自転車など、もう少し自分のもので生活を満たすことができる。叔父と少し話す。柳生街道とか元々実家のあったならまちの場所、今ぼくが住んでいるマンションは黒川紀章が手がけた都市計画の一部だったことについて。今週から宮崎で展覧会をするらしい。帰り、父に家まで送ってもらう。ある時から、父がぼくの些細なことですごいなと褒めてくるのだがどうも媚を売っているように感じていつも嫌な気持ちになる。例えば、今日は父が新しい車を買ったのでAmazon Fire Stickのセッティングをした。別に誰でもできることではあるが、この手のことは割と苦手ではないので簡単にできる。そんなことで褒められても嬉しくもない、むしろ反応に困るし、ぼくがこれまで持っていた家族との関係と違うので違和感を感じてしまう。別にぼくの人生の中で父親にわかりやすく褒められてきた覚えはないし、ぼく自身も褒められたいと思ったこともない。褒められなくとも自慢に思ってもらえればいいと思ってきた。あるタイミングから、父はぼくを褒めるようになった。きっと父の中で何か変化があったのだ、それは、彼の父であるぼくのおじいちゃんの死がきっかけだったかもしれないし、ぼくが海外に住み始めたタイミングかもしれないし、自分のビジネスがどんどんと縮小していることも影響しているかもしれない。社会の大きな変化も関係しているだろう。明確な理由はわからないが、8-10年くらいだろうか、急に態度が変わったように感じる。家族の絆のようなものを大事にして、父が中心となって旅行に連れ出すようになった。家族以外を受け入れないような右翼っぽい思想だなと感じることもある。家族のことだけではなく、父にはそういう思考を感じるときは多い。いや日本人の60代くらいの世代に方々からはそう感じることはとても多い。会社の先輩方もそういう感覚を持った人は多かった。ある人は、父が家族の絆を大切にするようになったことをそれを良い変化だというだろう、しかしぼくはこれまであった家族の関係に満足していたし、ことあるごとに家族写真を撮ったり、家族の誕生日を祝うためにみんなが大学の女友達と行っているような柔らかい雰囲気のお店に行って、お祝いをするような家族の関係に憧れたことはない。海外に住んでいるときに遊びにきたらいいのにと思っても来てくれたことはなかった。ぼくは別に家族を嫌いなわけではないが、大袈裟な愛情表現は苦手なのだ。お正月はみんなで集まって新年を祝いたいし、お盆休みには墓参りと旅行に行きたい。親族とも仲良くしたい、血が繋がってなくても家族だ。ぼくはそんな家族の関係を望んでいる。お正月はみんなで集まって新年を祝い、お盆休みには墓参りと旅行に行く。それがぼくたち家族の休暇だった、少なくともぼくが小学校の頃から大学卒業するまでずっとそれが続いていた。おじいちゃんが死んでから、家族との関係がどんどん形を変えている。ぼくが海外に住み出したのも理由なのだろう。これを決してネガディブに捉える必要もないのだ。おじいちゃんはぼくのことを思い切り褒めてくれたし、自慢の孫だと思ってくれていた。だから、父にもそういう感覚はあるのだろうし、そうだったのかもしれないが、声に出してそう言われたことはなかった。急にある時期を境に褒められるようになったので、媚を売られているような感覚になる自分にも嫌悪感を感じるし、何か企みがあるんじゃないかと勘繰るぼくも悪いと思うが、どうもムズムズするのである。褒めるのは、自分の自信がなくなっているから息子に少し頼りたい気持ちの表れかとも少し感じたりもする。一方で、母はぼくのことも弟のことも大袈裟に褒めない、それは昔から今も全く変わらない。父に関しては「いいセンスを持っているのに、それをやり切ることをしない」と愛を感じることをよく言っていた。褒めるということは、ぼくのことをずっと子供扱いしているからなのだとも思う。ぼくは仕事しているのに、「そのバイトはどうや」と毎度言ってくるということは、ぼくがどれだけ会社で働いていても、所詮バイトをしていると捉えられているということだし、出かける時に「金いらんか?」と言われる。「ちょうだい」と喉の奥まで出てくるが、それを飲み込んで「いらん」というが、このやりとりもぼくが中学生とでも思われているのだろうと毎回感じる。こうやって書いていると、子供の成長についていけない父親と親離れできていない息子の関係を描いているようで滑稽だなと思うし、ぼくの過去にあったそれを美化し継承したいという気持ちに、時代の変化の波についていけない自分を簡単に浮かび上がらせられることができるし、問題の多くはぼく自身が抱えているのだろうと思った。両親を尊敬しているし、良い教育を受け、自由な感覚で育ててもらったと思っている。だからこそ、そんな頃に感じていた偉大な尊敬できる親でいて欲しいし、カッコいい人間でいてもらいたい。はっきり言ってどんどんセンスに共感できなくなっていく父を見ていると、信じられないし、信じたくない。家族の変化に自分も楽しみながら、自分もその家族の刺激になるような存在でいる必要がある。家族で旅行に行くとなるならそれを楽しむべきだし、旅行に行けることははっきり言って幸せなことなのだ。父は、いつか家族みんなで旅行にいけなくなることがあることを気付いているのだろう。
叔父のアトリエから、荷物を家に持ち帰ると、自分の使い古したもので今までここにあった空気が失われるような感覚がある。空っぽであることを美徳としたこの家に、次々とものが溢れていく。空っぽを美徳としていると、どんなものでも外部から来たものが異物として扱われる。ここにあった空っぽな空気は全くリベラル主義ではなく、リベラルな人間の持つ柔軟性とは全く逆の強固な壁のようで外部のものに立ちはだかる。それは、ここに住んでいた亡くなったおばあちゃんが持っていた二面性を表すようでちょっと興味深いなと思った。おばあちゃんは、商売人で相手に息をさせないほどにお喋りだった反面、少し意地悪な部分もあり頑固でまさに壁のような人だった。ぼくをものすごく褒めてくれた。一緒に勉強したのをはっきりと思えている。
マンションの昼下がりに窓の外を眺めながら家族について考えることになり、気づけば日が暮れていた。結局、生産性のない1日を過ごした。