2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.9.11

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2023.9.11

朝、8時に車を返却。JRで東福寺まで行き、七条のハイアットリージェンシーへ。ハイアットリージェンシーに滞在中のTOO MUCHYoshiさんの友人Julienにお届けものをする。そこから、紫野の蕎麦屋に行き、GraceRichieと彼らの14ヶ月の娘Zinnyと会う。結局、奈良から紫野まで2時間もかかった。大徳寺の裏であぶりもちを食べる。大徳寺をふらっとし、北大路まで歩き、解散。Zinnyを見ていると、Graceそのままにとてもフレンドリーである。それに加えて、好奇心旺盛なので人がやっていることをなんでも真似をする。例えば、ぼくが蕎麦をすすると、Zinnyも蕎麦をすする。苦い顔をすると、彼女も苦い顔をする。そういう姿を見ていると、人間というのはなんでも見たものをすぐに真似した方が早く成長するのだろうなと思った。多くの子供はなんでも見たことを真似する。そうやって自分の力にしていく。そんな風な側面から、物事を考えていると、デザインでも、写真でも、アート制作でも何かの真似をすることはきっと個人の技術の向上や成長には役に立つのだろう。真似して覚える。個人の成長を考えると、真似することは一番良い方法だと言えるだろう。ただ、それはクリエイションとは全く違うもので、その作品や完成物を見る人間にはそれらは全く刺激的ではないかもしれない。特にアート作品が持つ背筋の伸びるような刺激はそれでは生まれない。デザインが、ものを正す作業だと考えるのであれば、デザインには「真似」という概念すらがないのかもしれない。では、なぜ既視感のある作品を作るアーティストをサポートする人がいるのか。それはもしかすると子育てのようなもので、アーティストの成長を楽しんでいるのかもしれない。成長の過程で、きっとオリジナルな驚くようなクリエイションが生まれる、成長していく姿が楽しくてサポートしているのだろう。こんな短い文章で、既視感とアートの関係を語るのははっきり言って言葉足らずだし、自分ももう少しじっくりと考えたいと思うので、大した文章になっていないが、一つ答えを出すならば、人がサポートしたくなるのは、作品が良いという理由だけではなく、成長の可能性を感じるかどうか、面白いか、気分が上がるか、そんなこともある。その後、HamishLizzieと合流し、ディナー。彼らが滞在しているAce Hotel近くの居酒屋へ行き、その後木屋町のれんこん屋へ。ここ4日くらい彼らととても楽しい時間を過ごした。久しぶりにあっても何も変わらない彼らを見ると、どうぼくたち含めた人間が成長しているのか不思議な気持ちにすらなるが、きっと人間の成長というのはそんなものなのだろう。緩やかな変化が続くとしても、どこかのタイミングで大きく変化する時が来る。次会えるのはいつになるのかと思うと少し悲しい気持ちになるが、オランダでの再会を願って帰路へ。30歳の誕生日を日本で祝い、今回35歳の誕生日を日本で祝った。そうなると5年後にまた日本でお祝いすることになればいいなとなんとなく話していた。もしかすると、来年すぐに彼らに会うかもしれない。彼らと知り合ってからもう10年以上経った。そういう友人が全く違う土地にいることが嬉しい。