7時10分にまた目が覚めた。昨日、渡邉さんと話していたので、なんとなく710というエンジェル番号を調べてみたら、「あなたが正しい方向に進んでいて、間も無く幸運が訪れることを伝えています。今のままのポジティブな感謝の気持ちを忘れず、過ごしていれば、あなたの願いはすぐ現実となるでしょう。前向きな姿勢を持ち続けるように」と書いてあった。正しいとか正しくないとか、別として今の自分には力になる言葉である。朝、Stellaの散歩の途中で、奥沢のONIBUS COFFEEで一服。夏の間は7時半からやっているらしく、曇りでそれほど暑くなかったので、立ち寄る気分になった。久しぶりに会った女性の店員さんと立ち話。朝から声を張り上げて元気だなと思った。そんなぼくはというと寝起きらしい、鼻の詰まった声だった。
Andreasに送っていた写真の返事がきた。ものすごく気に入ってくれているようで、特にシェープのない写真がいいとメッセージが来ていた。はっきりと写真のどこを気に入ってくれているのかを伝えてくれて、素直に嬉しい。昨日の話の続きではないが、「いいですね!」とか、「カッコいい!」と言われても、嬉しいけれど、実際にどんな視点を持って、何を良いと思ってくれているのかがはっきりわかると、なお心の底までエネルギーが届くような感覚がある。スウェーデンの方は、自分で企画して、それを実行する能力がかなり高い。一緒に何かをするのがとても楽しいし、爽快である。
昼過ぎ、聖子ちゃんとの散歩中に、昨日の日記で「鼻くそをほじる」というあまり好まない表現を書いてしまったことに後悔する。人に読まれることを意識すると、どうしても読まれることを意識しすぎてか、過度な表現などを利用して、自分の文章から離れてしまうように思う。「鼻くそをほじる」というある種の安直で幼稚な表現に頼ることでパブリックとの接点を作ろうとしているところに自分の自信のなさが伺えるし、自分らしい表現とはかけ離れている。そこに自分の弱さが見える。それは、人から依頼された写真の仕事などでもそうで、自分のスタイルではなく、どこかでそのクライアントの求める感じをエッセンスとして入れ込んでしまっている。もちろん写真だけを見ると、きっとぼくのスタイルだと言われるかもしれないが、個人的には純度100%とはいかない。その純度を高めるには、経験と信念が必要である。
夕方、馬喰町のミナペルフォネンへ、東野翠れんさんの展覧会。久しぶりに、ロナさんや翠れんさん、カヤさんに会った。と言っても5月に京都のarts&Scienceへ来てくれていたのであれ以来か。杉本雅代さんにも10年ぶりぐらいに再会、2014年に奈良のくるみの木で会ったのが以来だった。カズくんと話し込む、29日手伝ってもらえそうだ。その後、FC東京vsヴィッセル神戸を観戦するために初めて国立競技場へ行った。屋根があるせいか、熱気がムンムンでちょっと息が苦しいくらいだったし、音の打ち返しがすごくてかなり大音量だった。逆に音の広がりが大きくないので近隣への迷惑は避けられるのだろうか。都心部にスタジアムを作ることは、スポーツが生活に溶け込む必要があり、もちろんそれは試合観戦という側面だけではなく、文化として認知されるかどうかの問題である。今日初めてFC東京の試合を観たが、若い女の子が多いことに驚いた。それもみんなファッションや音楽が好きそうな女の子たちばかりで、川崎フロンターレのサポーターとは少し人のタイプが違った。どうしてもJリーグファンはオタクっぽいものとの親和性があるように感じていたので、意外な発見だった。ファッションや遊びが好きそうな子たちがそのまま音楽を聴きにライブハウスに行ったり、踊りにクラブに行ったりするようなことと同列に、文化としてスポーツ観戦を嗜好しているのだろうなと思うと、サッカーはある種の市民権のようなものを得て、文化となり得ているのかもしれないと思う。だったら屋根は必要だろうか、雨除けの雨なのだろうか。東京でそんな風に人を見ていると、海外で育ったからそんな風にそれらを嗜好することが、全てが当たり前に自分の生活スタイルになっているのだろうなとも思ってしまう。同時に、Jリーグ観戦にはオタク的側面はあるようでtwitterをしながら試合を観戦している人たちもたくさんいて、文化の成熟にはいろいろな要素が複雑に絡んでいるのだろうなと思わされた。スタジアム観戦の魅力とネガティブな要素を考えながら観ていたので、試合には集中できず。あともう一つ集中できなかった理由としては、この建築が、隈研吾氏ではなくザハ・ハディドによるものだったらこの街はどんな風になって、サッカー含めスポーツはどんな風な文化的発展を遂げたのだろうかと思うと、どうしても試合に集中できなかった。まあ、ぼくはFC東京、ヴィッセル神戸のどちらのファンでもないので、気楽に観ていた。やっぱりゴール裏2回席の縦構図でのサッカー観戦が一番面白い。夜は、アーセナルvsフラムを観て就寝。アーセナルを応援しながらも、フラムのゴールに感心していた。しかし、こうやって日々サッカーを観ていると、やっぱりどちらかにしっかりコミットする方が人生は楽しいのかもしれないと寝る前にふと思った。
Andreasに送っていた写真の返事がきた。ものすごく気に入ってくれているようで、特にシェープのない写真がいいとメッセージが来ていた。はっきりと写真のどこを気に入ってくれているのかを伝えてくれて、素直に嬉しい。昨日の話の続きではないが、「いいですね!」とか、「カッコいい!」と言われても、嬉しいけれど、実際にどんな視点を持って、何を良いと思ってくれているのかがはっきりわかると、なお心の底までエネルギーが届くような感覚がある。スウェーデンの方は、自分で企画して、それを実行する能力がかなり高い。一緒に何かをするのがとても楽しいし、爽快である。
昼過ぎ、聖子ちゃんとの散歩中に、昨日の日記で「鼻くそをほじる」というあまり好まない表現を書いてしまったことに後悔する。人に読まれることを意識すると、どうしても読まれることを意識しすぎてか、過度な表現などを利用して、自分の文章から離れてしまうように思う。「鼻くそをほじる」というある種の安直で幼稚な表現に頼ることでパブリックとの接点を作ろうとしているところに自分の自信のなさが伺えるし、自分らしい表現とはかけ離れている。そこに自分の弱さが見える。それは、人から依頼された写真の仕事などでもそうで、自分のスタイルではなく、どこかでそのクライアントの求める感じをエッセンスとして入れ込んでしまっている。もちろん写真だけを見ると、きっとぼくのスタイルだと言われるかもしれないが、個人的には純度100%とはいかない。その純度を高めるには、経験と信念が必要である。
夕方、馬喰町のミナペルフォネンへ、東野翠れんさんの展覧会。久しぶりに、ロナさんや翠れんさん、カヤさんに会った。と言っても5月に京都のarts&Scienceへ来てくれていたのであれ以来か。杉本雅代さんにも10年ぶりぐらいに再会、2014年に奈良のくるみの木で会ったのが以来だった。カズくんと話し込む、29日手伝ってもらえそうだ。その後、FC東京vsヴィッセル神戸を観戦するために初めて国立競技場へ行った。屋根があるせいか、熱気がムンムンでちょっと息が苦しいくらいだったし、音の打ち返しがすごくてかなり大音量だった。逆に音の広がりが大きくないので近隣への迷惑は避けられるのだろうか。都心部にスタジアムを作ることは、スポーツが生活に溶け込む必要があり、もちろんそれは試合観戦という側面だけではなく、文化として認知されるかどうかの問題である。今日初めてFC東京の試合を観たが、若い女の子が多いことに驚いた。それもみんなファッションや音楽が好きそうな女の子たちばかりで、川崎フロンターレのサポーターとは少し人のタイプが違った。どうしてもJリーグファンはオタクっぽいものとの親和性があるように感じていたので、意外な発見だった。ファッションや遊びが好きそうな子たちがそのまま音楽を聴きにライブハウスに行ったり、踊りにクラブに行ったりするようなことと同列に、文化としてスポーツ観戦を嗜好しているのだろうなと思うと、サッカーはある種の市民権のようなものを得て、文化となり得ているのかもしれないと思う。だったら屋根は必要だろうか、雨除けの雨なのだろうか。東京でそんな風に人を見ていると、海外で育ったからそんな風にそれらを嗜好することが、全てが当たり前に自分の生活スタイルになっているのだろうなとも思ってしまう。同時に、Jリーグ観戦にはオタク的側面はあるようでtwitterをしながら試合を観戦している人たちもたくさんいて、文化の成熟にはいろいろな要素が複雑に絡んでいるのだろうなと思わされた。スタジアム観戦の魅力とネガティブな要素を考えながら観ていたので、試合には集中できず。あともう一つ集中できなかった理由としては、この建築が、隈研吾氏ではなくザハ・ハディドによるものだったらこの街はどんな風になって、サッカー含めスポーツはどんな風な文化的発展を遂げたのだろうかと思うと、どうしても試合に集中できなかった。まあ、ぼくはFC東京、ヴィッセル神戸のどちらのファンでもないので、気楽に観ていた。やっぱりゴール裏2回席の縦構図でのサッカー観戦が一番面白い。夜は、アーセナルvsフラムを観て就寝。アーセナルを応援しながらも、フラムのゴールに感心していた。しかし、こうやって日々サッカーを観ていると、やっぱりどちらかにしっかりコミットする方が人生は楽しいのかもしれないと寝る前にふと思った。